日本の難読地名と由来~宮城編~

日本の難読地名と由来シリーズ

日本の難読地名と由来シリーズでは難読地名の由来について諸説も含め、説話として
残っているのを紹介しています。

目次の宮城県の難読地名では住所と由来が残っているのを、番外編では
住所が残っていないものを紹介しています。

また、今回の難読地名と由来は長いので、「宮城県の難読地名と由来」は約半分である
10個の所で一度区切って紹介しています。

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 宮城県の難読地名と由来(1)

 
覆盆子原(いちごはら)

住所

宮城県伊具郡丸森町覆盆子原

【由来】

「覆盆子」とは「枕の草子」に出てくる「きいちご」のことです。

この果実の実がとれたあとのくぼみを逆さにすると

「お盆」に見えたことに由来する。

いちごとこの地の関係性は不明。

「食べ物」の地名

枕草子 – 知泉Wiki

霊屋下(おたまやした)

住所

宮城県仙台市青葉区霊屋下

【由来】

伊達家三代(政宗、忠宗、綱宗)の霊廟が造営された
御霊屋(おたまや)の下に位置する地区であることから
そう呼ばれるようになった。

時代が下るにつれて「御」の字が省かれるようになった。

霊屋下・米ヶ袋 シリーズ・クローズアップ仙台

将監(しょうげん)

住所

宮城県仙台市泉区将監

【由来】

伊達政宗に仕えた仙台藩士の横澤 吉久(通称、横澤将監)から来ている。

横澤将監は伊達政宗の命を受けて南欧に渡った支倉常長を迎えるため、

1616年(元和2年)サン・ファン・バウチスタ号の船長の任を受ける。

帰路に立ち寄ったマニラ(現フィリピン)で改宗し

キリシタンとなり、1620年(元和6年)帰国。

その後、仙台藩のキリシタン弾圧が強まったため、棄教し迫害は免れた。

現地には「将監風致公園」があり、別名「将監沼」あるいは

「将監堤」がある。

また、「将監」と似ている「将監殿」は全く別である。

「将監殿」は伊達治家の記録によれば、慶長18年(1613年)に

伊達政宗の命を受け、支倉常長がローマに渡るための船を
建造することになった。

当時の戦国武将で造船技術に優れた才能を持ち、
後の徳川幕府で水軍の将となる「向井将監殿忠勝」が登場します。

忠勝の協力により、建造されたサン・ファン・バウチスタ号で、

常長は無事ローマに渡ることができ、忠勝は政宗よりこの功を認められ、
拝領した土地が、現在の将監殿ではないかと推測されています。

将監の歴史 – 「将監沼の自然」とふれあいを育む会

将監風致公園 – Wikipedia

横澤吉久 – Wikipedia

将監ニュータウンについて – 将監出身ですが故郷を離れて18年です。なんで将監… – Yahoo!知恵袋 

将監殿の町名由来

秋保(あきう)

住所

宮城県仙台市太白区秋保町湯元

【由来】諸説あり。

1.平安時代にこの地を治めていた「藤原秋保」という

人物にちなむという説。

2.詩経あるいは易経にある「百寿ノ秋ヲ保ツ」という

長寿を意味する言葉から来ているという説。

3.秋保大滝は秋保の象徴であるが、アイヌ語では滝のことを

「アボ」といいこれにちなむという説。

4.秋の景色が特に優れているところからきたという説等。

秋保の名は古くから知られており、「古今和歌集」や

「新古今和歌集」等にも「秋保の里」とうたわれているそうです。

榴岡(つつじがおか)

住所

宮城県仙台市宮城野区榴岡

【由来】

名前の由来は榴岡公園付近の段丘一帯がツツジに覆われていたので

「つつじがおか」と言われるようになった

もとは「躑躅岡」、または「山榴岡」と表記されていて、

どちらも読みは「つつじがおか」だった。

「躑躅岡」は画数が多いので、のちに書きやすさから

「山榴岡」の山を略し「榴岡」の表記が広まり、現在に至る。

「榴ヶ岡」の「ヶ」が付く表記の方が古く、昭和末期の区画整理の時に「ヶ」の付かない「榴岡」に統一されたが、地元の住民たちから「ヶ」の

付く方も残したいという意見があったため、「榴ヶ岡」の表記も
残っているようである。

「つつじがおか」の地名について、榴ヶ岡、榴岡、榴が丘等いくつかの表記があるが、それぞれの由来について… | レファレンス協同データベース

七ヶ宿(しちかしゅく)

住所

宮城県刈田郡七ヶ宿町

【由来】

江戸時代、羽州街道と奥州街道を繋ぐ道に「上戸沢」・「下戸沢」・

「渡瀬」・「関」・「滑津」・「峠田」・「湯原」の七つの宿場があり、
この街道を「七ヶ宿街道」と呼んだ名残。

七ヶ宿町 – Wikipedia

七ヶ宿町・歴史・観光・見所

遠刈田(とおがった)

住所

宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉

【由来】不明。

開湯は約400 年前の1601 年(慶長6 年)とされるが、そのはるか以前、

金商人の「金売橘次」によって開かれていたとも伝えられる。

古くは「湯刈田(とうがった)」を地名としていた。


そのため現在でも「遠刈田」の読みは「とおがった」と

「とうがった」の事実上2 つ有ると言って良い

遠刈田も関係した「大カニ」と「大ウナギ」の伝説も面白いですよ!

http://www.sanjirou.co.jp/story/

鬼首(おにこうべ)

住所

宮城県大崎市鳴子温泉鬼首

【由来】諸説あり。

1.平安時代、陸奥国の酋長だった大竹丸は、

征夷大将軍・坂上田村麻呂との戦いに敗れ、捕らえられて斬首されました。

その首は遠くへ飛びたって、岩に噛み付き無念の声をあげたといいます。


以来、その岩のある地域を鬼切部(おにきりべ)と呼ぶようになり、

やがて鬼首となって今に至っています。

2.安倍頼時の軍と陸奥守藤原登任

(藤原登任は敗北し後に源頼義が陸奥守兼鎮守府将軍に就任する)の
軍が戦った場所が鬼切部、現在の鬼首である。

観光スポット | 【公式】宮城・鳴子温泉郷鬼首のリゾートパーク・ホテルオニコウベ

「鬼首」の地名の由来

桃生(ものう)

住所

宮城県石巻市桃生町太田

【由来】

平安時代中期に作られた辞書の和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)
(一般には和名紗)の中に

「毛牟乃不(モムノフ)」とある。

「毛牟乃不」は元々、アイヌ語のモムヌプカから来ており、意味は

流域の丘と言われている。

桃生町ホームページ

NAGATA ACOUSTICS NEWS

和名類聚抄 – Wikipedia

閖上(ゆりあげ)

住所

宮城県名取市閖上

【由来】

元は「名取の浦」と呼ばれていましたが、ある時、里人が

海からやってくる光るモノを見つけました。

何かと思って行ってみると、流れ着いたのは藤のいかだに乗った、

霊験あらたかな十一面観音像でした。

それ以来、名取の浦は、観音様が“ゆりあげられた”浜ということで

『ゆりあげ浜(淘上浜または揺上浜)』と呼ばれるようになったそうです。

当時、熊野那智の神様を陸奥国(今の東北地方)に分霊するべく、

観音像を乗せて陸奥国に出帆下向した御船が多かったそうです。

嵐で難破した船が名取の浦に偶然打ち上げられた可能性があり、
観音像もそうした物の一つと考えられる。

現在の「閖上」表記には諸説あり。

1.1697年、仙台藩主・伊達綱村が大年寺の落慶に参拝しての帰途、

東方に見えた波打つ浜を

「あれは何というところか」と問うたところ、近侍のものが

「『ゆりあげはま』にございます」と答えた。

重ねて「文字はどう書くのか」と問うたところ、

「文字はありません」と答えた。

これを受けて綱村は、


「門の内から水が見える故に、今後は門の中に水と書いて
閖上と呼ぶように」

と言い、仙台藩専用の「閖」という国字が出来た。

2.綱村が閖上を作った1967年より前の1652~1654年に

この淘上浜(揺上浜)の村は度々、火災の被害に悩まされていました。

その為、浜に近い法印塚より部落内に遷座(せんざ)した

水門(みなと)明神に神託を乞うたところ、神名を地名にすれば
長く火災を除くことが出来るという、お告げを受けました。

そこで神名の水門に『閖』の字をあてて、その頃使われていた

「淘上(揺上)」を「閖上」に改めたという説。

閖上 – Wikipedia
閖上の由来について・・・ : なとり観光盛り上げ隊"なとれんじゃー”

宮城県の難読地名と由来(2)

愛島(めでしま)

住所

宮城県名取市愛島笠島

【由来】

明治時代に、笠島・北目・小豆島・塩手の四ケ村が合併した際に、

北目の「メ」・塩手の「デ」・笠島と小豆島の「シマ」とを合わせて
「メデシマ」の呼称を得て、それに愛島の字を当てたもの。

参考サイト様では名取の由来も紹介されており、和名類聚抄に

『奈止里郡』とあり、由来はアイヌ語で意味は
ヌタトリ(湿原)とされています。

愛島・名取の地名由来 ( 宮城県 ) – 古代文化研究所 – Yahoo!ブログ

渡波(わたのは)

住所

宮城県石巻市渡波

【由来】諸説あり。

1.安永年間(1770年代)に書かれた『風土記御用書出』に

「波折渡之渚村」といわれたのが渡波になったと記載されてるそうです。

「波折渡之渚村」の意味は、万石浦の入り江口で、波が折り返して

いたために砂丘が生じ、それが陸地化していった土地とのことです。

2.渡るの語源といわれるアイヌ語のワッタラが入り江を渡るという意味の

ワッタリとなり、それがワタノハに転訛したというもの。

石巻市渡波 地名の由来|特急22のブログ
渡波の地名由来: みちのく遠島物語

越河(こすごう)

住所

宮城県白石市越河

【由来】

「山を越える処」を意味する「越郷」「越河」に由来する。

「越河」の地名の由来

色麻(しかま)

住所

宮城県加美郡色麻町

【由来】

平安時代中期(承平年間931年 – 938年)に作られた辞書の

「和名類聚抄」に「之加萬」とふられ「シカマ」の訓が与えられている。

室町時代から昭和初期にかけて出版された国語辞典の節用集にも
「しかま」と書かれているそうです。

色麻町の歴史 – 色麻町役場

和名類聚抄 – Wikipedia

節用集 – Wikipedia

塩竈(しおがま)

住所

宮城県塩竈市

【由来】

海水を煮て塩をつくるかまど(竈)のことを

「塩竈」と言い、塩竈がある場所として有名だったため。

また、塩竈という地名のほかに、国府津(『こうづ』と読み、

国府の港という意味)とも呼ばれていましたが、

塩竈神社が、陸奥国の総鎮守(多賀城から見て東北の方角に位置する
鬼門を守る意味がある)として建てられ、信仰を集めるようになり、
国府津よりも塩竈の方が地名として定着していったものと言われています。

塩竈市/「塩竈」についてのミニ知識

茂庭(もにわ)

住所

宮城県仙台市太白区茂庭

【由来】

アイヌ語で北海道の藻岩(もいわ)と同じ。意味は小さい山。

ここで言う小さい山は太白山の可能性があります。

太白山の標高は320.61m(2014年4月1日)と低いです。

仙台のアイヌ語地名 | 仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル – 楽天ブログ

太白山 – Wikipedia

人来田(ひときた)

住所

宮城県仙台市太白区人来田

【由来】諸説あり。

1.人の往来の多さから 人来田と付いた説

2.「一木田」という神話から ついた説 

「一木田」神話とは文化 8 年(1811)に著された
「嚢塵挨捨録」によれば昔、ここの田のなかに榎の木の大木があり、
枝葉が繁茂してこの辺の耕作の妨げとなっていました。

この木は精の宿った大木で、しばしばこれを伐ろうとしたけれども、
斧でも切れず、切り口は夜のうちに癒えてもとのようになるので、
村人は後のたたりを恐れて伐ることを 止めました。

ある時、身の丈一丈余り(約 3 メートル)もある山伏が突然現れ、
この榎木 を引き倒してどこかへ持ち去っていきました。

村人はこの山伏は神の使いであると信じ、感謝を捧げて、
その後この地を一木田と名付けたと記してあるそうです。

いつからか、この一木田と同音の「人来田」の字句となって
現在に至るとされています。 

「人来田 由来」の検索結果 – Yahoo!検索

上記では人来田の地名の由来を開いてください

人来田の地名の由来

愛子(あやし)

住所

宮城県仙台市青葉区下愛子

【由来】

愛子という地名は、『安永風土記書出』には

「当村横町と申す所に相立ち申し候子愛観音之有りを以て、

当村の名に申し来り候由御座候」

とあり、この「子愛観音」から「愛子」となったという。

現在も、下愛子横丁旧補陀寺内に子愛観音堂があって、
子安観音像が祀られている。

この子愛(こあやし)の観音様の名称から、「あやし」の語を

「愛子」の文字に入替えて「あやし」と読むように
なったものと見られている。

愛子駅の駅名の由来

現在仙台市青葉区にある「愛子(あやし)」という地名の由来を知りたい。 | レファレンス協同データベース

「愛子(あやし)」の地名の由来「子愛(こやす/こあやし)観音」 | 伊達に会い隊ブログ

子平町(しへいちょう)

住所

宮城県仙台市青葉区子平町

【由来】

江戸時代後期の経世論家であり、「寛政の三奇人」の一人に名を連ねる
林子平の墓があったため、住居表示の変更の際に子平町と改称されました。

林子平 – Wikipedia

曽波神(そばのかみ)

住所

宮城県石巻市鹿又曽波神川原

【由来】諸説あり。

1.曾波はアイヌ語の「ソ・ハ」で「ソ」は水中の隠れ岩、
「ハ」は水や潮が引くという意味で、太古の石巻・大崎平野が
海であった時代に小高い山から対岸を見ると干満によって

岩が大きくも小さくも見えたことから
「ソハ」と名付けられたと考えれてる。

2.ソウパsopaはソウ(岩)パ(頭)で、
「頭状の岩山」の意味と言う見解もある。

曽波神の地名の正しい由来は、近くにある曽波神社から来ているそうです 蕎麦の神様ではありませんが、神様だけは合っているようです|さとたかの投稿画像

東北のアイヌ語由来とみられる駅名(宮城県・秋田県)(2) – 地名アラカルト

七北田(ななきた)

住所

宮城県仙台市泉区七北田

【由来】

安永風土記には、奥州街道の宿場を作った所から北に、
七つの村があったことから「七北田」の名前がついた、と
書かれています。

また、七北田には七北田川と言うのがあり、別名「冠川」・
「神降川」・「神居川」(かむりがわ)」とも呼ばれていました。

冠川・神居川・神降川の由来は、神が降り立ったという説や、
神様(もしくは坂上田村麻呂?あるいは源頼朝?)が
冠を 流されたことから、という説。


あるいは、川が運ぶ大量の土砂により、しばしば河口が塞がれ、
その形状が冠をかぶっているように見られたことに由来するという説が
あります。

みやぎの水辺ものがたり:七北田川の巻

泉なつかし写真館―第5回 七北田川|仙台市

七北田川 – Wikipedia 

番外編

菖蒲田浜招又(しょうぶたはままねぎまた)

住所※住所の一部である招又しか分かりませんでした。

宮城県宮城郡七ヶ浜町菖蒲田浜招又

【由来】

招又の由来は1611年12月2日(慶長16年10月28日)に起きた
慶長三陸地震が関係しています。

津波が押し寄せて来る中、高台に避難した人たちが
「こっちさ来い」と手招きしたことから招又の地名が付きました。

東日本大震災でも被害を受け、2016年には招又にある
五社神社に津波避難の目的に桜が植樹されています。

ちなみに、慶長三陸地震で初めて「津波」の語句が出て来ます。

出典は『駿府記』で
「松平陸奥守政宗献初鱈、就之政宗領所海涯人屋、波涛大漲来、
悉流失、溺死者五千人、世曰津波云々」

これが文献に現れた最古とされています。

石柱の設置:宮城県七ヶ浜町菖蒲田地区/石巻市渡波地区梨木畑 | NPO法人 さくら並木ネットワーク

 慶長三陸地震 – Wikipedia

鴇波(ときなみ)

住所

現在、鴇波を使った住所は存在しないと思われる。

※鴇波洗堰など名称としては残っている。

【由来】

トキが多く生息していたことから名づけられた

【収集】波の付く地名・宮城県|地方史愛好家 ab.nan27

鼻毛橋(はなげはし)

住所

 該当する住所はない(宮城県仙台市泉区にある橋)

【由来諸説あり

取るに足らない鼻にも引っかからないやせた土地にできた橋、
鼻水をたらして荷物を担いで上り下りした橋、
橋につくツララが鼻毛のようだったから
「鼻毛橋」になったなど諸説あります。

いずみ史跡今昔物語―第6回 小角めぐり 鼻毛橋周辺を歩く|仙台市

泉なつかし写真館―第5回 七北田川|仙台市

神子町(みこまち)

住所

現在、神子町の地名はないと思われる。

現在の住所は宮城県仙台市青葉区木町と思われ、木町には神子神社がある。

少し離れた宮城県仙台市青葉区上杉には朝日神社があり、祭神は神子朝日女之霊と
あるため、朝日神子と言う観点で見る場合には無関係ではないと思われる。

【由来】

朝日という名の神子が住んでいたためと伝えられている。

道路の通称として活用する歴史的町名の由来(神子町通)|仙台市

神子町 は瓦の町でした | 仙台駄菓子 くるみゆべし お中元・お歳暮・お土産・ご贈答に/元祖 仙台駄菓子本舗 熊谷屋

 朝日神社|宮城県仙台市青葉区 – 八百万の神

外記丁(げきちょう)

住所

現在は存在せず、上杉付近が該当

【由来】

仙台藩の初代藩主伊達政宗に仕え「豪勇」と評された武士
「齋藤外記」に由来する。

斎藤外記は伊達政宗が米沢で過ごした時に仕え、盗賊逮捕や
大阪の陣の時には足軽を率いて活躍するなどの武功を上げました。

また、隠密のような働きをして、裏切り者を告発するなど
さまざまな功績をあげました。

これらの功績により政宗から1000石を与えられました。

その後も、いろいろと功績を重ね、政宗の信頼の証として
町名にその名を残すことを許されたのです。

「外記は脱藩しては功績をあげまた仕官されるということを
繰り返していたため、脱藩はあくまでもカモフラージュで、
実は政宗の必殺仕事人のような懐刀ではなかったか?」

という説もあるちょっと不思議な人物です。

http://www.sendai-c.ed.jp/~kami-sho/sanpomiti%20tyoumei.html

www.sendai-c.ed.jp

道路の通称として活用する歴史的町名の由来(外記丁通)|仙台市

定義(じょうげ)

住所

現在は存在せず、大倉が該当

【由来】

肥後守平貞能公が由来です。

貞能公は平家が、壇ノ浦の戦いに敗れた後も、平重盛公より託された
阿弥陀如来の御霊像をまもり、源氏の追討をの逃れ、この地に隠れました。

ここにおいて貞能公は、なおも世をはばかり、
名を「定義」と改めたのが由来になっています。

定義如来の歴史・由来

定義山(じょうぎさん・じょうげさん)の名前の由来が知りたい。 | レファレンス協同データベース

半子町(はんこうまち)

住所

現在は存在せず、子平町が該当

【由来

半甲町通とも言い、半子衆が住んだことによる。

二代藩主忠宗が慶安四年に大筒組として取り立てた
旗本足軽二十二人(特に器量が優れたものを選抜)が、

頭髪を半分剃って後ろを残すことを印としたことから、
この名が呼ばれました。

道路の通称として活用する歴史的町名の由来(半子町通り)|仙台市

八幡町から半子町へ シリーズ・クローズアップ仙台

まとめ

宮城県以外の東北地方の難読地名が気になった方がいたらこちらもどうぞ。
日本の難読地名と由来~青森編~
日本の難読地名と由来~岩手編~
日本の難読地名と由来~秋田編~
日本の難読地名と由来~山形編~
日本の難読地名と由来~福島編~

北海道と東北地方の難読地名クイズに興味がある方はこちらから。
クイズ!北海道と東北の難読地名!いくつ読める!?!

日本の難読地名と由来シリーズで掲載してるのからクイズを出してるので、クイズを
答える中で由来が気になった方は各地方の由来をチェックしてみましょう!

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