日本の難読地名と由来~茨城編~(後編)

日本の難読地名と由来シリーズ

「日本の難読地名と由来」シリーズ茨城編の後編です。

茨城編(前編)リンク

茨城県の難読地名と由来


行方(なめがた)

住所

茨城県行方市

【由来】

倭武の天皇が当地の景色を見て
「山の尾根も海の入江も、互い違いに交わり、うねうねと
曲がりくねって見える。

峰の頂にかかる雲も、谷に向かって沈む霧も、見事な配置で並べられて
(並めて)見え、繊細な(くはしい)美しさがある。
だからこの国の名を、行細(なめくはし)と呼ばう」

この行細の名が後に、行方(なめがた)となったとされています。

行方地区の名前の由来は現原

FAQ ~よくある質問集~ | 行方市公式ホームページ

次木(なみき)

住所

茨城県行方市次木

【由来】

往還(道の行き来)にあった松並木に由来するという。

「なみ」に「次」の字を当てたかは不明。

野田市の難読地名・珍しい地名 – 難読地名・珍しい地名の由来 – Yahoo!ブログ

廻戸(はさまど)

住所

茨城県稲敷郡阿見町廻戸

【由来】

阿見の昔ばなしでは「波佐間戸(はさまど)」とも書かれ、
音が先なのか「角川日本地名大辞典」には、
「海に挟まれた土地に由来する」と書かれていた。

「波佐間戸」の地名は慶長七年(1602)には
現在の「廻戸」の地名に変わっています。

当時、田や畑の広さを調べた検地帳に廻戸村として出てくる。

現在の漢字である廻戸ですが、「廻」は、あたりをぐるぐるめぐる、
まわるという意味があり、

「国道125号線より旧道をたどってみると、曲がりくねった細い道」
なので、廻という字が当てられたのではないか、としている。

また、「戸」は、霞ケ浦沿岸、利根川、その他の沼や川の近くの

入りくんだ所に「戸」のついた地名があり、また、河岸のあった所が多く、廻戸も河岸があったとされているので、舟のつく所からきているのでは
ないかとされている。

【難読地名を行く-茨城編】曲がりくねった旧道が由来? 阿見町廻戸(はさまど)(1/2ページ) – 産経ニュース

阿見の昔ばなし その6 | 茨城県阿見町ホームページ

【感想】廻戸は宮城・岩手・福島にもあります。

住所検索で出て来てびっくりしました。

ここから感じるのは地形が似ていて「廻」と「戸」の意味が共通認識としてあったのかな?と言うことです。

当時の地形や文字の読み書きレベルに興味がそそられませんか?

番外編


手子生(てごまる)

住所

茨城県つくば市手子生

下記の由来は手子神社の由来が元です。

【由来(簡易版)】

女性の股に手を添えたら子供が産まれ、その名前を「手子丸」とつけ、
其の子が成人して功績を残し、その徳を慕って神社を建立して
守り神とし手子神社となったことが由来とされる。

鹿島神社(手子生)[茨城県つくば市手子生985番] – 時を巡るお寺神社の旅 (つくば市)

【由来(詳細版)】

手子生村に住んでいた若い夫婦は、夫の留守中、その妻が村の若い衆の
いたずらに遭わないように、 夫婦の隣に住む爺さんが、毎晩妻の身体に
手を当てて守ってやったら、いつしか妻は妊娠した。

生まれた男の子は、稀に見る秀才で、成人して立派な功績を残したこと
から、後世その徳を慕って一社を建立して末代までの守り神とした。

「手を当てて子が生まれた」ということから
手子神社といわれているという。

つくば市の神社 つくば新聞

大角豆(ささぎ)

住所

茨城県つくば市大角豆

【由来】確たる由来は不明。

1.当地で栽培している「大角豆(ささげ)」が
転訛し大角豆(ささぎ)となった説。

2.ササゲを集めたときのように土地がでこぼこしている様から
地名になった説。

【難読地名を行く-茨城編】豆のササゲが「ささぎ」に? つくば市大角豆(ささぎ)(1/2ページ) – 産経ニュース

月出里(すだち)

住所

茨城県稲敷市月出里

【由来】諸説あるが、確たる由来は不明。

1.「角川日本地名大辞典」には
「もとは月出と書いて『すたち』と読んだが、のちに
月出里(すだち)と改めた」。

読み方の由来については
「地内に大清水という字があり、清水の湧き出る地に由来する」という説

「上谷原という字があり、州がたっている地に由来する」という説が紹介されていた。

2.「筑波地方の地名の由来」では
「月出里の『月出』は『朏(ひ)』のこと」だと書かれている。

朏は「みかづき」とも読み、「三日月の里」が「朏の里」と転化し、
「月出里」になったのではないかとしている。

読み方については「新月の現れを小鳥の巣立ちに見立てた」のでは
ないかと推察している。

月の満ち欠けで月日の長さを決める太陰暦では、新たな月に入ってから
初めて見える月は三日月である。

そのことから三日月のことを新月とも呼び、月に入ってから初めて見える
三日月(新月)を、鳥の巣立ちになぞらえたのではないかという説。

また、地元の方の話では

「月にちなんでいるのか、月出里にはウサギは食べてはいけないという
言い伝えがある」と言う。

【難読地名を行く-茨城編】三日月に由来? ウサギの伝承も 稲敷市月出里(すだち)(1/2ページ) – 産経ニュース

子生(こなじ)

住所

茨城県鉾田市子生

【由来】氏子の伝聞だが可能性は高いと思い掲載

当地には厳島神社「本殿」があり、
「子生の弁天様」として親しまれている。

こちらの神社の氏子総代会長の話では
「地名が決まる前から神社があり、安産の神様として親しまれていたから、子生という地名になったのだと思う」とのこと。

「こなじ」と読む由来としては

「昔、年配の氏子から『子を生(な)す』がなまって『こなす』から『こなじ』に変化したと聞いた」

とのこと。

【難読地名を行く-茨城編】古くから安産を祈願 鉾田市子生(こなじ)(1/2ページ) – 産経ニュース

 木葉下町(あぼっけちょう)

住所

茨城県水戸市木葉下町

【由来】諸説あるが、確かな由来は不明

1.崖説

「アボッケのボッケはバッケと同じで崖のこと」を指す。


なぜ、それを「木葉下」と表記するのかは、堀口友一著「今昔水戸の地名」では「そのような場所の大樹の陰の意味である」と説明している。

崖の上に生えた木の下ということを表しているのだろう。

2.アイヌ語説

アイヌ語の「o-pok=がけ下<o(尻)pok(下)」から来た説や
アイヌの人に「木葉下」と書いて見せたところ
「あぶけ」と読んだと言う話もある。

3.朝房山の下説

堀口友一氏の著書「今昔水戸の地名」では
「朝房山の下にあることから、アボ下(ないしは、あさぼう下)の地名が
起こったとも考えられる」
これが転化して、「あぼっ下(け)」となったという説

また、堀口友一氏の著書「今昔水戸の地名」には、
古く安土桃山時代には木葉下村と書き、
「あほつけ村」と読んでいたとあります。

「木葉下」の地名の由来

Info’s thursday/情報の木曜日

【地名のはなし】木葉下(あぼっけ) アイヌ語との説も 茨城・水戸 – 産経ニュース

【難読地名を行く-茨城編】難易度全国レベル 水戸市木葉下町(あぼっけまち) 山麓の地形に由来?!(1/2ページ) – 産経ニュース

 大甕(おおみか)

住所

茨城県日立市大みか町住所などでは大みかを使用している。

【由来】確たる由来は不明。考察サイトを参照。

神と人の住む境界として「大甕」が埋められていたか、
あるいは「大甕」をおいて祭祀が行われた地であったと考えられるため。

大甕の「甕」を「みか」と読むときは、水を入れる容器という意味の
ほかに、酒を入れたり、酒を醸造するときに使われる器という意味が
付け加えられる。

大甕の使用例

1.祈念祭の祝詞に「大甕に初穂を高く盛り上げ、酒を大甕に満たして神前に差し上げて、たたえごとを言った」

2.「播磨国風土記」に丹波と播磨の国境に大甕を埋めて境とした。

大甕の地名が何時頃からあるのか?

大甕の地名が確認できるのは天保13年の「久慈郡久慈村田畑反別絵図」に
よれば、「大甕」は久慈村の字名の一つとしてあります。

また、考察サイトでは従来の説を否定してるので、こちらも掲載します。

いずれも大甕神社(ふるくは、大甕倭文神宮)の由来を説明し、
神社名あるいは神名から、地名「大甕」の由来が説明されている。

(1)甕星神説

(大甕倭文神宮社記)
「常陸風土記に曰く、大甕は甕星神の居所の
土地なり。故に大甕と称す」
→ 現伝本の「常陸国風土記」には、大甕や甕星神の記載がなく、

根拠がない。

(2)天津甕星説(大甕倭文神宮社記)
「当社縁起に曰く、建葉槌命は天神の勅をこうむり、
天津甕星を誅して倭文郷に鎮座す」。

ゆえに大甕倭文神宮といった。
→ 倭文郷は、現在の茨城県那珂市静の地をさす。


天津甕星は「日本書紀」にみえる神であるが、大甕とはなんら関係がない。

(3)甕星香々背男(みかぼしかがせお)説
(宮田実『大甕より久慈浜あたり』)

「大甕の地は先住民族として古典に載ることころの
甕星香々背男と称する強賊の占拠していたところであったために
伝えて此処を大甕と称すると云われている」

→ 甕星香々背男と大甕を結びつけるものはなにもない。

大甕(おおみか)の由来 hc_storia

感想

今回のは産経ニュースにとっても助けられた気がします。

今までも一つのサイトでいくつかの地名を紹介してると思いますが、今回のでは産経ニュースが
なければ紹介する地名が減ったり情報の密度が下がってたと思います。

当然、産経ニュース以外のサイトやブログにもとても助けられました。

特に今回は由来における情報の記載方法が自然と変わり、量も多くなりました。

これも参考サイト及びブログの管理者様の情報の密度が高く、私自身が書きたいと思ったからです。

私のブログは他の管理者様が頑張って集めた情報を統合してるだけなので、
褒められたものではないかもしれませんが、私自身が楽しいのと
日本を地名から知っていくためにこれからも続けていこうと思います。

本記事を拝見してくださり、ありがとうございます。

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