本多静六さんの著書「私の財産告白」で印象に残った所を抜き出してみた。

印象に残った本

Wikipediaから。

本多 静六(ほんだ せいろく、慶応2年7月2日(1866年8月11日) – 昭和27(1952年)1月29日)は、日本の林学博士、造園家、株式投資家。日本の「公園の父」といわれる。苦学して東大教授になり、「月給4分の1天引き貯金」を元手に投資で巨万の富を築き、停年と同時に全財産を寄付した。旧名、折原静六。

本多静六 – Wikipedia

今回紹介する本は上記でも触れてる「月給4分の1天引き貯金」について書かれた本です。

・本文で印象に残った所

P18

同勢九人抱えての私は、これではいつまでたっても貧乏から脱けられない、貧乏を征服するには、まず貧乏をこちらから進んでやっつけなければならぬと考えた。

貧乏に強いられてやむを得ず生活をつめるのではなく、自発的、積極的に勤倹貯蓄をつとめて、逆に貧乏を圧倒するのでなければならぬと考えた。

そこで断然決意して実行に移ったのが、本多式「四分の一天引き貯金法」である。

苦しい苦しいで普通の生活をつづけて、それでもいくらか残ったら・・・・・・と望みをかけていては、金輪際余裕の出てこようはずがない。

貧乏脱出にそんな手温いことではとうてい駄目である。

いくらでもいい、収入があったとき、容赦なくまずその四分の一を天引きしてにして貯金してしまう。そうして、その余りの四分の三で、いっそう苦しい生活を覚悟の上で押し通すことである。

これにはもちろん、大いなる決心と勇気が必要である。

しかも、それをあえて私は実行したのである。

すなわち、一ヵ月五十八円の月給袋から、いきなり四分の一の十四円五十銭也を引き抜いて貯金してしまう。

そうして残りの四十三円五十銭で一家九人の生活をつづけることにしたのである。

補足・感想:月給58万円が現在でいくらの価値があるのか分からなかったので調べました。

月給については1893年明治26年帝国大学農科大学の助教授に就任した時の記載があるので、この時期の貨幣価値を現在の価値にすると仮にですが明治30年頃の1円は現在の2万円ぐらいの価値があったかもしれないそうです。

現在でいうと月給116万ほどは稼いでいたということかな、と思います。

家族9人だと本文を読むと厳しいのかもしれません。

義母は月給取りと知行取りの違いを説明しても呑み込めてなかったみたいなので、金銭感覚の違いもあり、難しかったのかもしれないですね。

また、「四分の一天引き貯金法」収入の四分の一を貯金なので、生活水準はそれぞれ違いますが、あまりにも少ない月給で一人暮らしでなければ実践できるのかもしれません。

私の収入でやろうとすると家賃と食費を抑えるのが真っ先に浮かびますが、料理はスキルと気力、時間と問題が多い・・・・・。

明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい?(1) | お金の歴史雑学コラム | man@bowまなぼう

P21~22

初めの生活はまったくお話にならぬ苦しさであった。しかし、私は発頭人でもあり、家計は一切妻に託したので、比較的に平気ですまされた。

実際家内のほうはさぞ大変だったろうと、いまからでも顧みて推察できる。

帳面買いでは安いものは買えない。そこで買い物はすべて現金、月末になるとその現金がなくなってくるので、毎日胡麻塩ばかりで済ませたことさえある。

それでも大人たちはなんともなかったが、頑是ない子供たちは正直だ。

「お母さん、今夜も胡麻塩?」などと泣き顔をした。それを家内が、「もう三つ寝るとオトトを買ってあげますよ」となだめなだめしていたが、私は平気とはいいつつ、さすがにこれは断腸の思いをした。

しかし、私のこの計画は、あくまでもしっかりした理性の上からきている。気の毒だとか、かわいそうなどということは、単に一時的のことで、しかもツマラヌ感情の問題だ。この情に負けてはならぬと歯を食いしばった。

そうして、四分の一貯金をつづけていけば、、三年目にはこれこれ、五年目にはこれこれ、十年目にはこれこれになる。

今の苦しさは、苦しいのを逃れるための苦しさだから、しばらく我慢してくれと家内の者を説いたのである。

 

~私はただ、生活の出発を一段下げた処から始めるとさえ考えればよろしかったのである。

P25

ブレンタノ博士は、さらにこういうことをいわれた。

「財産を作ることの根幹は、やはり勤倹貯蓄だ。これなしには、どんなに小さくとも、財産と名のつくほどのものはこしらえられない。」

P56~57

いったい、財産を作る目的の最初は、だれしも生活の安定とか、経済の独立とかにおかれるものであるが、それがいつしか、「子孫の幸福」につながる親心に発するものとなってくる場合が、大部分である。

すなわち、できるだけ多く財産をこしらえて、できるだけ多く子孫に伝えたいといった世俗的な考えに変化してくるものである。

恥ずかしながら、私にも多少そうした愚かさが萌さないでもなかった。

私も我が子孫の幸福について考えるに、まず子孫を健康に育て、完全な教育を施し、かつ相当な財産を分与してやりさえすれば、それで十分幸福にさせられものと早合点したのである。

これははなはだ間違った考えで、最後の相当な財産の分与などは全く顧慮する必要がなく、それはかえって子孫を不幸に陥れるものだと漸次的に気付くに至ったのである。

「幸福とはなんぞや」という問題になると、少しやかましくなるが、それは決して親から譲ろうと思って譲れるものではなく、またもらおうと思ってもらえるものでもない。

畢竟、幸福な各自、自分自身の努力と修養によって勝ち得られ、感じれるもので、ただ教育とか財産さえ与えてやればそれで達成できるものではない。

健康も大切、教育も大切、しかし、世間でその中でも最も大切だと早合点している財産だけは全く不用で、それよりももっともっと大切なのは、一生涯絶えざる、精神向上の気魄、努力奮闘の精神であって、これをその生活習慣の中に十分染み込ませることである。

 P66~67

 「若いうちに勤倹貯蓄、慈善報謝、陰徳を積み、老後はその蓄積と楽隠居する」という旧式な考えた方を超越して、楽隠居などという不自然な怠惰生活はさらりと捨て、「人生即努力、努力即幸福」なる新人生観によって、古くさい財産感も、陰徳陽報主義も一新されるに至ったのである。

P174~175

部下の心を自分につなぐには、何かの頼まれごとや約束を、忘れずに必ず実行することなど最も有力な手だ。

私はこのために手帳を用意していちいちこくめいにメモをとっておいたのだが、頼んでいたほうで忘れているような些細なことでも、このメモのおかげでこちらは忘れずに必ず実現したので、「うちのオヤジはこんなことまで覚えていてくれるか」と、バカに評判をよくしたものである。

これが、再三念を押されて、最後に「やあ忘れていた」ということになっては、仕事の上の権利も、信頼も、とんだ処でマイナスにされてしまうところだった。

さらに師長たるものは、いつも決して無表情無愛想であってはならない。

部下は常に、「上役の機嫌」といったことに心を配っているものだからーー卑屈な意味でなしにーーー部下に対しては、なるべく柔らかく、笑いを忘れず、ときにはユーモアたっぷりの口説で雑談の仲間入りなどもすべきである。

 

いい話題がなかったら、「どうだね、子供さんはみな元気かね」くらいに、くだけて出ることが大切である。

「威厳」と「親しみ」ーーこの二つの等分配合がなかなか難しい。上長者に人知れぬ苦心の存するのはここだ。孔子のいわゆる威あって猛からず、恭にして安しというのもすなわちここだ。

P175~176

人の上に立ってもっとも苦心を要するのは、人の叱り方、諭し方である。

人間はだんだん古参になったり、年老いてくると、自然人に対する小言が多くなる。

また小言を言わねばならぬ立場にもなってくる。そこで、この二つがごっちゃになって、しかも自分のわがままもまざってくることになるから、よくよく気をつけなければならない。

いいかえれば、部下に対して小言がいいたくなり、叱りたくなった場合は、まずそれを自分の上に当てはめてみて、自ら第一に反省するくらいに慎重を期さなければならぬのである。

由来、賞讃は春の雨のごとく、叱責は秋の霜のごとしである。

褒めることは人を蘇き返らせ、のびのびとさせるが、小言はどうも人を傷つけ、委縮させることが多い。

だから、小言を人にいう場合も、称揚することを八分、注意することを二分、といった程度に心を用いるとかえって効果があるようである。

子供のしつけ方についても、「三つ褒めて一つ叱れ」といった言葉もある。

 

P183

かつて私は、総理大臣だった桂太郎大将からこんな話を聞いたことがある。

~大将曰く、

「自分は陸軍に身を投じて、常に次から次へと勉強の先回りをやってきた。

大尉に任ぜられたときは、少佐に昇進する年限を三年と考え、その初めの半分の一年半に、大尉としての仕事を充分に勉強しつくした。そうしてのちの一年半に、少佐に昇進した時に必要な事柄について一所懸命に勉強した。

だから、予定の年限がきて少佐になると、大尉時代に早くも準備を積んでおいたために少佐の任務は安々と勤まって、他の者にくらべて綽綽たる余裕を残した。そこでただちに次の中佐時代に必要な勉強を始めたのであるが、中佐になれば大佐の、大佐になれば少将のと、次々に一段階ずつ上のことがスッカリ身についたのだから、勤務もすこぶる楽であったし、成績も意外に上がった。

したがって、だれよりも最右翼で昇進することができたのである」

 

P187

なんでもよろしい、仕事を一所懸命にやる。

なんでもよろしい、職業を道楽化するまでに打ち込む、これが平凡人の自己を大成する唯一の途である。

世の中には天才だけにしかできぬという仕事はあまりない。少なくとも、職業と名のつく職業であれば、すべては平凡人の努力によって、完全にこれを道楽化する処までいけるものだ。

今日の学問からいうと、本当の天才は、天才的な遺伝要素が必要で、われわれ凡人は本当の天才にはなれない。だが、いかに不得手なことでも、一所懸命やれば上手になれ、好きにもなれ、天才にはなれなくとも、まず天才に近いものにまではなれる。

私もいろいろな体験からこうと気付いたのであるが、後にゲーテの「天才論」をみたら、やはり「天才とは努力なり」と、同じような結論が出ていて、はなはだしくわが意を得た次第だった。

そこでわれわれは、かりに一歩を天才には譲るとしても、努力による「亜天才」をば志さなければならない。何も初めから遠慮して天才に負けてしまう必要はない。「天才マイナス努力」には、「凡才プラス努力」のほうが必ず勝てる。

私は八十年来これでずっと押し通してきて、何事にもそれほど見苦しいひけを取ってきたとも思わない。

 

さてここに、凡人者の天才者に対する必勝ーーとまではいかなくとも、少なくとも不敗のーー職業戦術がある。

それは「仕事に追われないで、仕事を追う」ことである。つまり天才が一時間かかってやるところを、二時間やって追いつき、三時間やって追い越すことである。

今日の仕事を今日片付けるのはもちろん、明日の仕事を今日に、明後日の仕事を明日に、さらにすすんでは今日にも引きつけることである。

 

P204

平凡人はいついかなる場合も本業第一たるべきこと。本業専一たるべきこと。

一つのことに全力を集中して押しすすむべきこと。

これが平凡人にして、非凡人にも負けず、天才にも負けず、それらに伍してよく成功をかち得る唯一の道である。しかも職業上の成功こそは、他のいかなる成功にもまして、働くその人自身にも、またその周囲の人々にも人生の最大幸福をもたらすものである。

人生即努力、努力即幸福、これが私の体験社会学の最終結論である。

感想

とても参考になる本で他の出版物である「私の生活流儀」や「人生計画の立て方」も読んでみたくなりました。

「月給4分の1天引き貯金法」については2019年の収入では月単位では達成できないこともありましたが、年単位の貯金額でいえば達成することができています。

これは年齢でいえば収入はかなり少ないですが、ここ数年で考えると使える金額が最も多いので、今まで我慢や関心を示してなかった服や家電などに使う金額が多かった月があったためです。

今年は服はある程度揃えたので、去年よりは出費を抑え、他に回すか貯金額を増やしたいと思います。

本作にはある程度の金額が貯まったら投資に回すべきことが書かれていましたが、そのためには勉強も必要だしリスクも大きいと思うので現在は考えていません。

投資に回せるような額もないですし・・・・。

貯金法以外の引用では耳に痛いものもありましたが、それは日頃思っても実行に移せてないことを指摘されているように感じたからだと思います。

「人生即努力」

さぼり癖や優先順位が低いのをやったり、本業に全力で集中できてない私には痛い言葉でした。

この言葉から感じたものを実行に移せば自分は成長できると思いますが、変えることができるだろうか?

仕事に必要な勉強と予習を毎日することが重要でそれが出来れば成長できると思う。

ただ、仕事から解放されて仕事の勉強をするのが苦痛なんですよね・・・・・・。

それを続けることにより、楽しくなり、好きになるかもしれないですが、そのためには最初は10分でもいいから実行に移し毎日続けることから始めようかな、と。

・・・・・正直毎日10分がもうハードルが高い!何か頑張るためのニンジンが欲しい!!!

本多静六先生、実業之日本社様、素晴らしい本をありがとうございます!

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