日本の難読地名と由来~東京編~(前編)

日本の難読地名と由来シリーズ

日本の首都、東京編(前編)に突入です!

(日本の法律では「首都を定める法律は、現在ない」そうですが、そんなこと知らん便宜上分かりやすいんだよ!)

参議院法制局

愚痴っぽく始まってしまいましたが、ここからいつもの難読地名と由来シリーズです。

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難読地名と由来~東京編~

銀座(ぎんざ)

住所

東京都中央区銀座

【由来】江戸時代の「銀座役所」に由来する。

1603年に江戸幕府を開いた徳川家康は、1606年に駿府にあった銀貨鋳造所あるいは銀座鋳造所(銀座役所)を1612年に現在の銀座2丁目に移しました。

その場所の正式な町名は新両替町でしたが、通称として「銀座」と呼ばれるようになりました。

その「銀座」ですが、銀を特権的に扱うため、相当な利益があり、「銀座」役人の羽振りは相当良かったようです。しかしいくつもの不正事件をおこし、1800年(寛政12年)、「銀座」は日本橋蠣殻町に移転させられてしまいます。しかし、銀座という通称だけは残ったのです。

ヒストリー | GINZA OFFICIAL – 銀座公式ウェブサイト

銀座 – Wikipedia

「銀座」の地名の由来 | 雑学ネタ帳

日本橋馬喰町(にほんばしばくろちょう)

住所

東京都中央区日本橋馬喰町

【由来】

牛馬を売買する「博労(ばくろう)」に由来する。

江戸時代、この地には馬場があり、これを幕府博労頭の富田半七と高木源兵衛が管理していました。

「博労」とは牛馬の売買を行う仲介業者のこと。その後、高木家が名主となったことで、この町は「博労町」と呼ばれるようになり、これがやがて「馬喰町」となったと言われています。

1657年(明暦3年)の明暦の大火の後、関東郡代郡代とは税の徴収などを管理する役職)の屋敷が建てられ、ここを訪れる人々のための旅館街となりました。

その土産物の商いや、すでに問屋街であった隣町の横山町の影響で、馬喰町は問屋街として発展しました。

「馬喰町」の地名の由来 | 雑学ネタ帳

【日本橋馬喰町】名前の由来と問屋街の歴史 | ENTAME LABO

八重洲(やえす)

住所

東京都中央区八重洲

【由来】ここに住んでいたオランダ人ヤン・ヨーステンの和名「耶楊子(やようす)」に由来する。

ヤン・ヨーステンはオランダ船リーフデ号に乗り込み、航海長であるイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)とともに1600年(慶長5年)4月19日、豊後に漂着します。

後に徳川家康の国際情勢顧問や通訳として活躍し、徳川家康からこ江戸城の内堀内に邸を与えられ、日本人とも結婚しました。

この屋敷のあった場所が現在の八重洲のあたりで、冒頭で紹介したヤン・ヨーステンの和名「耶楊子(やようす)」と呼ばれるようになる。これが後に「八代洲」(やよす)となり、「八重洲」(やえす)になったとされる。
ヤン・ヨーステンはやがて東南アジア方面での朱印船貿易を行い、その後帰国しようとバタヴィアジャカルタ)に渡りましたが帰国交渉がはかどらず、結局あきらめて日本へ帰ろうとする途中、乗船していた船がインドシナ座礁して溺死しました。

八重洲 – Wikipedia

ヤン・ヨーステン – Wikipedia

京橋(きょうばし)

住所

東京都中央区京橋

【由来】※諸説あり

1.京橋川に架けられた橋の名前に由来する。

橋の名前は、京都出身の者がこの橋付近で遊女屋を営んでいたことに由来する。

京橋は江戸時代には木の橋で、1933年(昭和8年)には洋式の石橋であった。1959年(昭和34年)には京橋川が埋め立てられ、橋は撤去され、現在は町名だけが残っています。

2.「京橋」という地名は、東海道の起点である日本橋から、「京へ上る最初の橋」であったことから、その名が付いたとされています。

「京橋」の地名の由来 | 雑学ネタ帳

京橋とは-歴史-
時代により様々な顔を見せる京橋の変遷をお伝えします。「京へのぼる最初の橋」であったことから名づけられた地名の由来や、材木から桶まで木を扱う職人が多く住んでいた江戸時代の様子など、現在に至るまで、移り変わる京橋の歴史を紹介します。

麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう)

住所

東京都港区麻布狸穴町

【由来】狸穴の由来に諸説あり。

1.この地に生息していた猯(まみ=アナグマ)にちなんで『まみあな』という地名がついたのだが、後に狸の字と混同されてしまい、狸穴(まみあな)と書かれるようになったとする説が有力である。
長い坂下に雌狸の棲む大きな洞穴があったのが、地名の起こりとされる。

寛永21年(1644年)には、将軍・徳川家光がこの穴の視察を命じたという話も残っている。

2.魔魅(まみ)(人をたぶらかす魔物の類)が住むような土地という意味に由来する説。

3.間府(まぶ)(鉱石を取るために掘った横穴、坑道)に由来する説。

麻布狸穴町 – Wikipedia

「狸穴町」の地名の由来 | 雑学ネタ帳

港区公式ホームページ/麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう)

筑土八幡町(つくどはちまんちょう)

住所

東京都新宿区筑土八幡町

【由来】町域内の筑土八幡神社を由来とする。

筑土八幡町 – Wikipedia

【ツクドハチマンチョウ】筑土八幡町の由来 – すむいえ情報館

改代町(かいたいちょう)

住所

東京都新宿区改代町

【由来】代地をさらに改める意。代地の立ち退きを命じられて二度目に与えられた代地のこと。
 牛込村の白鳥沼の西端部。江戸築城で今の雉子橋付近に住んでいた住民が、牛込御徒町に代地を与えられたが、承応三年(1654)に改めて沼地(現在地)を給され、そこに移るように命じられた。

しかし埋め立てる資力がなく村人の妻子がゴミを捨てて埋まるのを気長に待って順々に町屋にしていったとされる。そのため初めは「牛込築地替代町(うしごめつきじたいだいちょう)」といった。替代は「2度目の代地」の意だ。
 明治5年牛込四軒寺町(田中寺・伝久寺・長寿寺・妙福寺)を併合して牛込改代町と改め、平成元年一部を水道町に譲って今日に至ってる。

【カイタイチョウ】改代町の由来 – すむいえ情報館

改代町 – Wikipedia

改代町の歴史 | 東京都新宿区改代町

諏訪町(すわまち)

住所

東京都八王子市諏訪町

【由来】江戸時代の旧小字「諏訪宿」にちなむ。

諏訪町 (八王子市) – Wikipedia

番外編

諏訪町(すわちょう)

住所

※東京都新宿区に存在した町名。およそ現在の高田馬場一丁目大部分と西早稲田二丁目西半分に相当する。

【由来】諏訪神社に由来している。諏訪神社弘仁年間(810 – 824年)の創建と伝えられ、小野篁により大国主命事代主命を祀ったのがはじまりとされる。

当初は松原神社と命名されたが、徳川義直により諏訪神社と改名された。

諏訪町 (新宿区) – Wikipedia

神田旅籠町(かんだはたごちょう)

住所

※現在の外神田一丁目1番(昌平橋束橋詰広場) 付近と思われる。

【由来】この周辺は、かつて神田旅籠町(かんだはたごちょう)と呼ばれていました。
昌平橋(しょうへいばし)の北側にあたるこの地は、中山道(なかせんどう)の第一の宿場である板橋宿(いたばししゅく)、日光御成街道(にっこうおなりかいどう)の宿場町である川口宿(かわぐちしゅく)への街道筋として、旅籠が数多く立ち並んでいたため、「旅籠町」と呼ばれるようになったと伝えられています。
江戸幕府は、五街道のなかでも、遠く京都に通じる東海道中山道の整備にとくに力を入れていました。また、日光御成街道は将軍が日光参拝の際、必ず通った街道で、現在の国道122号にほぼ相当します。こうした二つの重要な街道の拠点となる町が旅籠町だったのです。
しかし、天和二年(1682年)に江戸で大火事が起こります。浄瑠璃や歌舞伎でも有名な「八百屋お七」の大火です。もともとあった旅籠町はこの火災で類焼し、北側の加賀金沢藩邸(かがかなざわはんてい)跡地に替地を与えられました。

そして元禄七年(1694年)には、浅草御門の普請のため、馬喰町・柳原(やないはら)周辺の町が代地を与えられ移転しています。これを機に旅籠町にも一丁目と二丁目ができました。さらに、明治二年(1869年)には、昌平橋と筋違橋(すじかいばし)の北側にあった幕府講武所付町屋敷(ばくふこうぶしょづきまちやしき)が神田旅籠町三丁目と改称されました。


さて、旅籠町の由来となった旅籠ですが、幕末のころにはほとんど姿を消しています。「諸問屋名前帳(しょどんやなまえちょう)」によれば、嘉永(1848年~1854年)のころまで残っていた旅籠は、わずか一軒だけとなり、代わりに米や炭、塩、酒を扱う問屋が増えていたことがわかります。

頭の「神田」については神田川から来ていると思われます。東京の地名には外神田・内神田とありますが、これは江戸府内より見て神田川(外堀)の外側を「外神田」(内側は「内神田」)と称したことによります。

千代田区ホームページ – 町名由来板:神田旅籠町(かんだはたごちょう)

外神田 – Wikipedia

内神田 – Wikipedia

木挽町(こびきちょう)

住所

※東京都中央区南部の旧町名。現在の歌舞伎座周辺,銀座と築地の間にあたる。

【由来】江戸時代初期,江戸城大修築に従事する木挽の多くが住んだことによる。

木挽町(こびきちょう)とは – コトバンク

檜物町(ひものちょう)

住所

※現在の東京都中央区に存在した町名

【由来】檜物町(八重洲一丁目・日本橋三丁目)は家康の江戸入府の際に浜松の檜物大工棟梁がこの地を拝領したことによる。

さて、そもそも「檜物」についてですが、「檜物」とは、檜(ひのき)や松などから薄く削り取ったものを曲げて作る「曲げ物」のことで、当時は食器や勝手用品としてかかせないものでした。
この町には藩の番屋が置かれ、また江戸時代城下にあった職人町の一つでしたが、商人の家が増え続け、明治には個人商店の多い町になっていました。

「旧町名」から読み解く、江戸城下町の特性|東京クロニクル | 東京街人

たかさきの中心市街地

薬研堀(やげんぼり)

住所

※現在の東京都中央区日本橋にかつて存在した運河であり、堀周辺の通称地名。

【由来】この辺りの堀の形が「薬研」という、薬を潰す道具に似ていたのでそう呼ばれるようになったと言われている。
事実、この地域には医者や薬問屋が多く、別名「医者町」で通っていたと言われています。

また、七味唐辛子の発祥地としても有名です。

店名の由来|やげん堀とは|やげん堀 七味唐辛子本舗

薬研堀 (東京都) – Wikipedia

十二社(じゅうにそう)

住所

※地名としては消滅しバス停などに残る。

例:十二社池の上(バス停)

【由来】熊野神社の十二所権現とされる。

【新宿区】十二社 – 旧町名をさがす会

花街の痕跡・西新宿「角筈十二社」 (1) 熊野神社 – 東京DEEP案内

角筈(つのはず)

住所

※東京都新宿区にかつてあった地名。

現在は、新宿区西新宿、歌舞伎町および新宿の一部。

【由来】※諸説あり。

1.新宿区教育委員会では、以下の説を有力としている。
角筈周辺を開拓した渡辺与兵衛の髪の束ね方が異様で、角にも矢筈(やはず)にも見えたことから、人々が与兵衛を角髪または矢筈と呼び、これが転じて角筈となった説。

2.(渡辺与兵衛が?)真言宗の信者で、正式な僧にはならずに自宅で修行する、忌み言葉で「優婆塞(うばそく)」だった。この「優婆塞」を「角筈」といった。

角筈 – Wikipedia

「角筈」の地名の由来

 駕籠町(かごまち)

住所

※地名としては消失し、現在は駕籠町小・駕籠町公園などにその名が残っている

【由来】元禄10年(1697)江戸幕府は、『御駕籠の者』51人に、この地を与え居住させた。
御駕籠の者とは、将軍専用の駕籠をかつぐ人で、長身の者が選ばれた。
昔、この辺りは巣鴨村に属していたので、町の名を御駕籠と合わせて、巣鴨御駕籠町とした。

古老の伝えによれば、将軍ご用達のときは、小刀の着帯が許され、秘密保持などの厳格な規定があったと言う。

町名は『御』の字がつくのは、将軍との関わりを示す。
明治2年(1869)『御』の字は削除され、小石川駕籠町となった。
さらに、昭和39(1964)町名が整理統合され、駕籠町の町名は消え、今では駕籠町小・駕籠町公園などに、その名が残っている。

駕籠(かご)町小学校 学校概要 校名の由来

駕籠町

文京区 駕籠町公園

感想

八重洲の由来が個人的に面白かったです。家康からの信頼や日本人と結婚したりと日本での基盤をしっかりと作っていた印象を受けましたが、やっぱり自分の国に帰りたいですよね。結局その願いは叶わずに最後は溺死してしまいましたが・・・・・。

続編

http://kasibaka.miyagi.jp/2020/03/14/日本の難読地名と由来%ef%bd%9e東京編%ef%bd%9e%ef%bc%88中編1%ef%bc%89/

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