日本の難読地名と由来~千葉編~(中編2)

日本の難読地名と由来シリーズ

日本の難読地名と由来~千葉編~の(中編2)です。

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日本の難読地名と由来~千葉編~

 匝瑳(そうさ)

住所

千葉県匝瑳市

【由来】平安時代前期の歴史書続日本後紀(しょくにほんこうき)」によれば、5世紀の終わり頃から6世紀のはじめにかけて、畿内(現在の近畿地方)の豪族であった物部小事(もののべのおごと)という人物が、坂東(ばんどう)(現在の関東地方)を征した勲功によって、朝廷から下総国の一部を与えられ、匝瑳郡(さふさごおり)とし、小事の子孫が物部匝瑳(もののべのそうさ)氏を名乗ったと伝えられている。

また、匝瑳の語源については、諸説あって定まっていないが、発音での「さふさ」という地名があり、「さ」は「狭」で美しい、「ふさ」は「布佐」で麻の意で、“美しい麻のとれる土地”であったとする説や、「さ」は接頭語で、「ふさ」は下総国11郡中で最大の郡であったことに由来するという説があります。匝瑳は、「さふさ」に縁起のよい漢字を充てたものと考えられている。

匝瑳(そうさ)市の名称について – 匝瑳市

不入斗(いりやまず)

住所

千葉県市原市不入斗

【由来】※諸説あり。

1.谷間の入口を「入山瀬(いりやませ)」といったのが転化した説。

2.年貢免除説(1)。土地が痩せ荒れていて米の収穫が少なかったので年貢米を「入れ計れなかった」という説

※実地踏査した方によると「そうかも知れない。」と半ば首肯できる場所もあったが、多くは災害の年を除いて米が計る程とれなかったということは首肯し難いものであった、と評している。

3.年貢免除説(2)。社寺への献納米を生産する土地として、特別に公課を免除されたので「入り計らず」という語源から来たという説。

※不入斗の、「入り」とは誰かが入ることを指している能動詞である、逆に言えば「入り…ず」とは入ることを制限されていた人々が在った事実を示唆している。古文書から推定するとこの制限された人は明らかに役人である。役人が入れない土地は社寺関係以外の土地とは考えられない。
 次に、この地名が「不入斗」という漢文体で構成されているという事実は、往昔の高い知識階級によって作成され、使用されている。最も高い知識階級とは僧侶、社官及び官途に在ったほんの一部の人である。

不入斗

「不入斗」の地名の由来

「不入斗」の地名の読みとその由来を知りたい。 | レファレンス協同データベース

日本列島「地名」をゆく!:ジャパンナレッジ 第12回 不入斗村(いりやまずむら)

都部(いちぶ)

住所

千葉県我孫子市都部

【由来】※諸説あり。

1.「部」は分に通じ、「一の分け」といわれる余郷を意味し、『和名抄』の郷名(余戸)に由来するといわれる。

2.新田開発時の地割に関係した地名ではないかとする説。

我孫子市の難読地名・珍しい地名の由来 – 難読地名・珍しい地名の由来 – Yahoo!ブログ

丁子(ようろご)

住所

千葉県香取市大倉丁子

【由来】※諸説あり。

1.古くは「丁古」と書いた。昔は「丁」の字は「よぼろ(よほろ)」と読み、古代朝鮮語の「ヨボ」に由来していると言われる。本来の意味は若者の意味だったが、満20歳の呼称あるいは成人男性が公役に出た時の呼称に変わった。

これに接尾語の子を付けたもので天皇の棺を担ぐ京都八瀬童子の輿丁と同じか、あるいは「丁子」は香取神宮に所属する「ようろ(労働者?神輿を担ぐ人たち?)」が住んだところではないかと言われる。

2.「はつ(削)・ろ(袋状に入り込んだ地形)・ご(処)」の転訛で崩壊した丘陵に袋状に入り込んだ地形という意味。

丁子

香取市

岡発戸(おかほっと)

住所

千葉県我孫子市岡発戸

【由来】※諸説あり。

1.地形が“人体の陰部”に似ているからという説。

2.ほど(火処)すなわち溶鉱炉に由来するという説。

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我孫子(あびこ)

住所

千葉県我孫子市

【由来】※諸説あり。

    ※我孫子市公式ウェブサイトでは1.の説を採用しています。

1.古代において「我孫子」は氏(ウジ)や姓(カバネ)として使用され、大和朝廷の古い時期の官職として「古事記」等に出てくる「阿毘古」とする説。

阿毘古は、大王(オオキミ)や有力豪族に魚や鳥などの食糧を貢進する氏族だそうです。 

大王(のちの天皇家につながっていくとされる)は古墳時代(3世紀から7世紀)にかけて日本列島で大きな権力を有しました。また、大和地方の有力豪族も各地の地方豪族を支配下におさめる際に、豊かな土地を直轄地とし、そこに住む人々から貢納物を納めさせました。その際に土地やそこに住む人々に「我孫子(阿毘古)」という名前が付けられたと考えられます。

2.網曳(アビキ)が転じたとする説で、網曳はもと宮内省(ミヤノウチノツカサ) の大膳職に属する雑供戸で、海産の魚貝を貢進する品部とされます。

常陸川の鮭を網で捕ったりする「網引」や手賀沼の水鳥を網で獲ったりする「網子」など、地元の食産物を貢進していた集団が住んでいたことによるとされる。


3.アバ(くずれた)・コ(処)」が転じた崩壊地形を示す説。

4.「アミ(網)・バ(場)」の略で漁場を示す地名ではないかとする説。


5.インドシナのチャム語の「アビ(火)クク(神)」の説。

6.ヘブライ語の「Abik(我らの先祖たち)」の説。

 
7.アイヌ語で「ap-Kotan(釣針-村)」や「apkot-ni(釣-竿)」があり漁業に関する地名とする説。

地勢:我孫子市公式ウェブサイト

「我孫子」の地名の由来

我孫子(あびこ)という地名が千葉県と大阪府の両方にあります。有名ではある… – Yahoo!知恵袋

小食土町(やさしどちょう)

住所

千葉県千葉市緑区小食土町

【由来】※諸説あり。

1.小食土はもと「矢指渡」「矢指土」「矢指戸」の字を使っていたが、海上(うなかみ)郡にも同じ「矢指」という村(現旭(あさひ)市)があってたびたび誤解を受けることがあった。そこで当時村に住んでいた漢学者の所に相談に行くと、大食の者は蛮カラだが、小食の者は心が優しいから「矢指」を「小食」の字に変えたらどうかと言われ、「矢指」を現在の「小食」の字に変えたと言われている。「指(さし)」には指差すごとく陸が海に伸びている所、日向地、傾斜地、古代朝鮮語で城などの意がある。


2.御霊(ごりょう)神社の碑文によれば、小碓命(おうすのみこと)(日本武尊(やまとたけるのみこと))が本納(ほんのう)(橘(たちばな)神社)に弟橘媛(おとたちばなひめ)を祭祀し、さらに東国に向かう途中、当地で休息をした。その時村人が献上した間食を尊が召し上がり、この故事により当地を小食土というと記されている。

3.「や(谷津)・さらし(曝し)・ど(処)」の転訛で湿地のある崩壊地形という意味。

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千葉市緑区

御霊神社

中峠(なかびょう)

住所

千葉県我孫子市中峠

【由来】※地名の由来は不詳だが、2つ説を紹介する。

1.柳田国男は「地名の当て字」(全集第25巻)の中で、「ヒョウ」は「標」の字の漢音であり、「境木」すなわち「榜示杭」※1を意味するといっている。

※1傍示杭とは、境界のしるしに建てられた標柱のことで、街道施設に限っての名称ではないが、街道筋においては、宿場境や距離の基準点を示す重要な施設であったに違いないとされる。杭は木製だったために現存は期待できず、浮世絵などによって想像することしかできない。描かれた人間や馬の大きさと比較しても、かなり丈の高い木杭であり、そこには、境界を示す文言や里程などが墨書されていたようである。

2.当地の言葉で馬の背のような狭い地形のことを、”峠(びょう)”と呼んだことが関係しているとされる。

我孫子市の難読地名・珍しい地名の由来 – 難読地名・珍しい地名の由来 – Yahoo!ブログ

東海道と宿場の施設【傍示杭】

珍名・難読地名の旅 – 22.中峠 – たかがカメラ、されど写真

安食卜杭(あじきぼっくい)

住所

千葉県印西市安食卜杭86

【由来】「卜」はボク、ウラナウと読み、当時の豊凶を占ったり、その地域の平和や豊作を祈る杭を建て「卜杭野」と呼ばれていたとされ、これが地名に繋がったとされる。さらにこの地域は印旛沼に面しており、悪霊、病魔、幸せが出入りする村界ともいわれていた。

また、印西市木刈在住の河邉久男氏は「その杭は単に占うだけでなく、天体の観測にも使われ、暦の作成や占星術に用いられたのでは」との示唆をされている。古来そのような学問に習熟していたのは僧侶や神官であったろうとの説が付け加えられた。

なんて読む? 日本の珍地名「安食卜杭」 – ITmedia NEWS

http://www.chiba-newtown.jp/Fudoki/Fudoki03.htm

安食(あじき)

住所

千葉県印旛郡栄町安食

【由来】※諸説あり。

1.平安時代後期。 水郷地帯の宿命ともいえる、度重なる水害によって飢饉に見舞われたこの地の住民が、五穀豊穣を願って駒形神社を創建。翌年は大豊作になり”食に安ずる”ようになったという伝承に由来する。

2.百済からの渡来人「阿自岐(あじき)」族に由来するという説。

3.応神天皇の時代に、「秦(はた)」「漢(あや)」の二大氏族が渡来し、伴造(とものみやっこ)※1となった。その中に阿自阜(あじき)人もいて、漢字を伝えたという。それらの渡来人が住み着いたところに、安食、安楽の地名が多く残ったとする説。

※1.古代の諸氏族。朝廷の職業集団の長。「造」は「かしら、トップ」を意味する。

安食の古い町並み

「安食」の地名の由来

ちなみに安食と安食卜杭は予想通り近い!

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感想

今回ので終わらせたかったのに終わらなかった!!あと少しだけ続きます!

 見直すと「安食」の2と3の説は一緒だが、このままにしま~す。

続編

http://kasibaka.miyagi.jp/2020/03/09/日本の難読地名と由来%ef%bd%9e千葉編%ef%bd%9e後編/

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