日本の難読地名と由来~千葉編~(中編1)

日本の難読地名と由来シリーズ

日本の難読地名と由来~千葉編~の続きである(中編1)です。

過去編

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日本の難読地名と由来~千葉編~

白毛(わかしらが)

住所

千葉県柏市白毛

【由来】※諸説あり。

1.記紀系譜上の5世紀末の清寧(せいねい)天皇の家来が住んでおり、天皇の名の「白髪武広国押稚日本根(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこ)」をとって白髪部(しらがべ)としたという説。


2.同地から源頼朝に献上したクリ毛の馬が、何時の間にか白馬に変わっていたとの伝承が由来の説。

柏市の難読地名・珍しい地名 – 難読地名・珍しい地名の由来 – Yahoo!ブログ

墨名(とな)

住所

千葉県勝浦市墨名

【由来】※諸説あり。

1.上古此地に春部直黒生賣(はるべあたえくろうめ)という者がいたことから、「黒」生賣の「土」地である「名」田が短縮して「くろとな」となり、それが変化したという説。

2.黒土の浦の略という説。

3.「と(山)・な(土地)」で山のある地という説。

勝浦市

飯給(いたぶ)

住所

千葉県市原市飯給

【由来】

弘文天皇大友皇子)にまつわる伝説から来ている。

672年、弘文天皇大友皇子)は壬申の乱に敗れ、東海道を下り11人の公家を引きつれて川をさかのぼって来る途中、川岸では6人が溺れて亡くなった。

疲れ果ててしまった皇子一行を、村人たちは追っ手が良く見える八崎代に案内し、しばし休んでいただき、ご飯を差し上げた。一行は大変喜び召し上がったという。

そしてこのためこの場所を飯置(いいち)といい、飯を給うたので飯給というようになったという。

また地元の言い伝えでは、皇子には3人の子どもがあり、3人を村人に預けて千葉県市原市万田野地区を越えて落ちのびて行ったという。村人は、3人の子供達の顔にススを塗ったりして、変装させたが、10月の酉の日に追っ手に捕らえられ、現在の飯給駅前に見える白山神社※1で打ち首になってしまった。翌日から、その辺りには白い3羽の鳩が舞うようになったので、村人達がその場所にお宮を建て祀ったところ、その日から白鳩の姿は見られなくなったと言われ、白山神社の事を白鳩の宮というのも、ここに由来するという。

※1.白山神社の祭神は弘文天皇である。

他に弘文天皇に関係する話として、飯給から離れた匝瑳郡(千葉県にあった郡)の野栄や旭には、大友皇子の妃に関する言い伝えがある。

天武天皇の時、官女が兵乱を避けて従者18人を連れて東国に下った。中臣常磐の孫 英勝が供をして、白鳳元年(672年)、下総の海辺に上陸したが脳病により崩じたので之を埋葬した。」そして官女とは藤原鎌足の娘、耳面刀自(みみもとじ、みみものとじ)のことで、大友皇子の妃のことであるとも言われている。

事実かは別にして、藤原鎌足も千葉に縁があり、当地には「鎌足の腰掛け石」なるものが残っている。

耳面刀自の言い伝えについても鎌足の出生地の一つとされる鹿島郡(現茨城県)を目指す中、千葉の九十九里浜に上陸したが病に倒れ亡くなったといわれ、匝瑳市野手には媛(高貴な身分にあった人の息女の敬称)の墓とされる内裏塚古墳※2がある。

中臣金の子英勝をはじめとする従者たちは、この地にあって媛の御霊を弔ったとされ、旭市の内裏神社※3は内裏塚古墳の墳土を分祀したものと伝わる。また、内裏神社の近くには大塚原古墳があり中臣英勝の墓とされている。

媛の御霊をなぐさめるため、33年ごとに内裏神社から大塚原古墳を経て内裏塚古墳にお浜下りと呼ばれる神幸祭が行われる

※2.嘉保元年(1094)に十社の中臣英勝から数えて14代目の正勝のとき、この塚に埋められていた耳面刀自媛の遺骨を大塚原(旭市)に移したという(大塚原古墳)。

一方、内裏神社のHPでは妃の従者の子孫の美敷が天慶3年(940年)に野手の墳土の一部を移して、引き続き祀ったのが現在の内裏神社といわれています、と記載されている。

※3.内裏神社の祭神は弘文天皇と耳面刀自媛を祀っている。

飯給駅 – Wikipedia

小湊鐵道に乗ってみた ② : 路上日記 SEASON IV

飯給 白山神社 : 路上日記 神社・仏閣

もうこの森

房総史譚: 匝瑳市

内裏神社/千葉県公式観光情報サイト-まるごとe! ちば-

 国府台(こうのだい)

住所

千葉県市川市国府

【由来】律令制のもとで下総国国府が設置された事に由来し、古くは「鴻之台」とも書かれた。

国府台 (市川市) – Wikipedia

市川市|国府台・堀之内界隈

求名(ぐみょう)

住所

千葉県東金市求名

【由来】※諸説あり。

    ※室町期には「郡名郷」とみえる藩政村。

1.徳川家康が鷹狩りの際に、当時まだ名前のなかった求名付近を訪れたとき、「この地はなんという所か?」と問いかけた。とっさに家来が、名を求められたのだから、求名にしようと「求名と申します」と答えたのが由来だとされている。

2.家康が東金滞在中に九十九里方面に鷹狩りに出掛けた折、途中のある小集落で、村人からこの地の命名を依頼され、家康は即座に「求名」と名付けたという。

3.新しく開拓した村を何と名付けたらよいかと名前を探した結果、名を求めるという意で求名になったとも伝えられる。

徳川家康ゆかりの地を訪ねて 東金市/千葉県

東金市(1) 難読地名と珍しい地名の由来 一之袋,家徳,求名,殿廻,酒蔵,福俵,家之子 – 難読地名・珍しい地名の由来 – Yahoo!ブログ

廿五里(ついへいじ)

住所

千葉県市原市廿五里

【由来】古くは「露乾地(つゆひぢ)」「津井比地(ついひぢ)」と呼ばれていたとされる。

「廿五」は「二十五」の古字で「里」は日本の距離の単位を表します。

この文字が当てられた由来は、源頼朝がこの地にあった東泉寺を厚く敬い、毎月焼香を行うために使者を送ります。このとき鎌倉からこの寺までの道程が二十五里であった。そこで古い地名をこの文字にあてたと伝えられています。ただし伝承の上ではこうなっていますが実際の鎌倉―廿五里間は二十五里(約100km)ではありません。

特集・地名の由来いろいろ

海士有木(あまありき)

住所

千葉県市原市海士有木

【由来】海士(あま)と有木(ありき)が一つになって、この地名がつきました。

  海士は、その昔漁夫(海人)の集落、有木のほうは附近に有木城(蟻木城とも書く。現在の泰安寺)があった為、 その名がついたと云われている。

有木は「あらき」で、新しく開いた土地に由来する。

「海士有木」の地名の由来

木下(きおろし)

住所

千葉県印西市木下

【由来】※諸説あり。

1.付近の雑木林から切り出した木を河岸から船に積み込んだ説。

2.古く永徳3年(1383)に竹袋稲荷神社が造営された時、里見家より寄進された良木を筏に組んで運び河岸に下ろした説。

3.「き(処)・おろし(崖)」で崖地という説。

木下街道

印西市

生谷(おぶかい)

住所

千葉県佐倉市生谷

【由来】※諸説あり。

    ※「うぶかい」とも言い、江戸期は生ヶ谷村。

1.地名は昔、豪族の娘が手繰川流域の谷地から湧き出す清水を産湯に使ったことから「うぶゆ」が転訛したという伝承がある。

2.「おば(崖)・か(接続語)・い(井)」の転訛で川沿いの崖地という説。

3.「負う」の転訛で山を背にした川沿いの地という意味とも考えられる。

佐倉市

神門(ごうど)

住所

千葉県佐倉市神門

【由来】※諸説あり。

1.地名は当地がかつて香取神社への要衝の地で、神の門への入口とみられていたことや、ここから東方にあった宮本の山王神社への入口を意味したという。

2.転石の多いゴロゴロした土地を指した説。

3.「たき(高)と(処)」の転訛で急傾斜地という意味の説。

佐倉市

中尾余町(なかびよまち)

住所

千葉県佐倉市中尾余町

【由来】※諸説あり。

1.寛文年間以降、武家屋敷増設に伴いできた町と言われてる。尾余とは低地に突き出た台地のことを言い、地形の呼び名が町名になったのではないかとする説。

2.「なぎ(薙)・びょう(境)」の転訛で崩壊しやすい丘陵を境と見立てたとする説。

佐倉の祭礼|麻賀多神社氏子町の御神酒所

佐倉市

日秀(ひびり)

住所

千葉県我孫子市日秀

【由来】※諸説あり。

1.古くは「日出」といったという。「ヒイデ」が「ヒイビ」と転訛し、「日秀」と瑞祥(ずいしょう)※1文字を当てたとする説。

※1瑞祥とは、めでたいしるし。吉兆。祥瑞の意味。

2.平将門の霊位がこの地で日の出を拝んだことにちなむとする説。

3.将門の遺臣の日出弾正がこの地に隠棲したことによるとする説。

4.。「ひ(亀裂)・ひり(簸る)」で地崩れした所という意味とする説。

将門神社-我孫子市日秀に鎮座する平将門由来の神社、ご祭神は、平将門。 – masakadojinjya ページ!

我孫子市の難読地名・珍しい地名の由来 – 難読地名・珍しい地名の由来 – Yahoo!ブログ

我孫子市

珍名・難読地名の旅 – 23.日秀 – たかがカメラ、されど写真

野狐台町(やっこだいまち)

住所

千葉県佐倉市野狐台町

【由来】※諸説あり。

1.地名は奴(やっこ)と呼ばれる下級武士が住んでいたことによるとする説。

2.殿様が当地で狐を捕まえたことによるとする説がある。

佐倉市

砂(いさご)

住所

千葉県八街市

【由来】※諸説あり。

    ※砂子とも書き下砂(下砂子)とも称した。江戸期は砂村。江戸初期に村の南部を上砂村として分村したため下砂村とも称した。

1.地名は「いさ(砂)・ご(処)」で砂地という意味の説。

2.この土地の土質は鉄分が多く、雨水の流れた後に砂鉄がみられたため、砂鉄に由来するという説。

八街市

(11)八街市の難読地名・珍しい地名の由来 砂,上砂,大谷流,小谷流,雁丸尾余,皿谷,根古谷,文違,用草 ( その他文化活動 ) – 難読地名・珍しい地名の由来 – Yahoo!ブログ

神久保(いものくぼ)

住所

千葉県八千代市神久保

【由来】※古くは芋窪・神窪・伊毛窪とも書いた。室町期は伊毛窪村、江戸期は神窪村。

地名は「いも(傾斜地の滑落土の堆積地名)・の(接続詞)・くぼ(埋められた窪み)」の転訛で傾斜地の地辷り地帯を指したものとされる。

八千代市

文違(ひじかい)

住所

千葉県八街市文違

【由来】※諸説あり。

1.1582年(天正10)、「小間子ノ吉田原」の戦いに敗れた椎崎城主の椎崎三郎勝任が再起をはかるべく先発隊を飯櫃(いびつ)村(旧・芝山町)に派遣したが、先発隊は道を「踏み違って」飯積村(現・酒々井町)に向かったことにちなみ、「ふみちがえ」が転訛して、「ひじかい」になったと伝えられる。

2.名主で牧士を務める錦貫家に他地区の錦貫家の文書がまちがって届けられることがあり、「文ちがい」が「文違」になったともいわれる。

(11)八街市の難読地名・珍しい地名の由来 砂,上砂,大谷流,小谷流,雁丸尾余,皿谷,根古谷,文違,用草 ( その他文化活動 ) – 難読地名・珍しい地名の由来 – Yahoo!ブログ

感想

久しぶりの難読地名と由来シリーズの更新!ブログ自体投げ出し気味だったので、もう続編は書かないんじゃないかと思ったが、奇跡的に気持ちが蘇った!

どうだろうか?「へぇ~」や勉強に少しはなっただろうか?私?私は鳥頭なので書いた先に忘れました。

のんびり気が向いた時などに書いていこうと思います。

続編

http://kasibaka.miyagi.jp/2020/03/09/日本の難読地名と由来%ef%bd%9e千葉編%ef%bd%9e中編2/ 

http://kasibaka.miyagi.jp/2020/03/09/日本の難読地名と由来%ef%bd%9e千葉編%ef%bd%9e後編/

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