日本の難読地名と由来~群馬編~(後編)

日本の難読地名と由来シリーズ

前編

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群馬県の難読地名と由来

 魚尾(よのお)

住所

群馬県多野郡神流町魚尾

【由来】かつて日本武尊ヤマトタケルノミコト)が東征の途中、空腹と疲れで神流川の真ん中に座っている「丸岩」と呼ばれる奇岩付近で休んでいた際、村人が献上した麦飯と鮎を大いに喜んで魚の尾まで食べ「この地を魚尾と称すべし」と言われた伝説によるもの。

自衛隊群馬地方協力本部:本部長の群馬紀行

乙父(おっち)

住所

群馬県多野郡上野村乙父

【由来】木曽義仲の四天王、今井四郎兼平の遺児が郎党と乳母に付き添われて当地にたどり着いて住みつき乳母が乙母へ、郎党(男子)が乙父に土着したことによるといわれる。また一族が落人として逃れて来た地が乙父であり、お供として来た者の住みついた地が乙母であるとも伝承される。乙父・乙母ともに今井姓が多い。

「乙父」の地名の由来

乙母(おとも)

住所

群馬県多野郡上野村乙母

【由来】木曽義仲の四天王、今井四郎兼平の遺児が郎党と乳母に付き添われて、当地にたどりつき住みついたという伝説がある。

郎党の住んだところが乙父(おっち)、乳母の住んだところが乙母であるといわれる。

乙母・乙父には今井姓が多い。

また、オトモは川が乙の字なりに曲っているところを指したという説もある。

さらに、アイヌ語説もあるが、いずれも定かではない。

「乙母」の地名の由来

嬬恋(つまごい)

住所

群馬県吾妻郡嬬恋村

【由来】第12代景行天皇の皇子「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の東征中に、海の神の怒りを静めるために愛妻「弟橘姫(おとたちばなひめ)」が海に身を投じました。その東征の帰路、碓日坂(今の鳥居峠)にお立ちになり、亡き妻を追慕のあまり「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)とお嘆きになって妻をいとおしまれたという故事にちなんで嬬恋村と名付けられた。

嬬恋村紹介

邑楽(おうら)

住所

群馬県邑楽郡邑楽町

【由来】※諸説あり。

1.「邑楽(おうら)」は、古くは「於波良岐(おはらぎ)」。

茨城と同義で、「オ(接頭語)・ハラ(原)・ギ(場所を示す接尾語)」→「オフラ」→「オウラ」と転じた説。

2.野原に多くの木が茂っていたことから「オハラギ(大原木)」とする説。

3.「オハ(崖地)・ラ・ギ(場所を示す接尾語)」の意とする説。

4.「開墾地」の意味であるオホアラキから来ているという説。

邑楽

邑楽町|群馬県

鶉(うずら

住所

群馬県邑楽郡邑楽町

【由来】※諸説あり。

1.建久年間、足利義兼が鎌倉から足利へ向かう途中鶉を捕らえさせ黄金の指籠に飼ったが、夢のお告げで放鳥し、のちに高い地位を得たといういい伝えがあり、地名はこのいい伝えにちなむ。

関東地方の難読地名一覧 – Wikipedia

2.足利尊氏が当地で雉狩りを行った際に、鶉の雛鳥を捕獲して金の鳥籠に入れて持ち帰ったことからきているとされる。

自衛隊群馬地方協力本部:本部長の群馬紀行

狸塚(むじなづか)

住所

群馬県邑楽郡邑楽町狸塚

【由来】※諸説ある。

由来の前にタヌキとムジナは動物学的には同じとされています。

根拠となった事件。

たぬき・むじな事件 – Wikipedia

ここから狸塚の由来
1.狸塚にはタヌキが塚に穴を あけて住んでいたので「狸塚」と呼ぶようになったとしています。

しかし、タヌキはつい最近まで人家に近い山林にはどこにも住んでいましたから、あまりあてになりません。(サイトによっては有力とされる)


2.こんな話があります。集落の人家の雨戸を決まってたたく者がいました。家の人が出てみると誰もいません。 これはきっとタヌキのいたずらだろうということになり、若者たちが申し合わせて、何者かが雨戸をたたく時刻に待ち伏せをしました。

すると、タヌキが出てきて尻尾で雨戸をたたいています。若者たちは一斉にタヌキに飛び掛かりました。

タヌキはとっさに、近くの阿弥陀堂の中に逃げ込んでしまいました。

御堂には本尊様が安置してありますが、なんとまったく同じ阿弥陀様が二体になってしまいました。

そこで若者たちは、タヌキをいぶり出すことにしました。始めはどっちがタヌキか、まったく分かりませんでしたが、そのうち煙たくてタヌキがむせび出しました。

そこで、若者たちは「こん畜生」とばかりにどっと押し寄せて、袋だたきにして殺してしまいました。

村人はタヌキのたたりを恐れて高台に埋め、 ムジナ大権現と書いた墓標を建てて、ねんごろに供養をしたといいます。この高台の塚を村人は「むじなつか」と呼んだので、これが地名になったといいます。


3.狸塚には、足利から上五箇の渡しを渡って武蔵国に通ずる道がありました。

ある年、都の人がこの道に差しかかりましたが、長い旅で疲れ果てていたようです。

村人は 気の毒に思い、丁寧に介抱してあげましたが、旅人の病気は良くならず、死んで しまいました。

何でもその方は貴(とうと)いお人 だったといいます。
村人は村の高台に立派な塚を作って埋葬しました。

貴いお人の塚なので、人々 は貴(むち)の塚 と呼びました。
ちなみに、貴は神や人を敬っていう古代の名詞で、村人は貴の塚をいつか「貴(むち)な塚」と呼び、やがて「むぢなつか」と 転化しました。そして、その人を貴ノ宮 社(木ノ宮社)に祭りました。

あすへひとこと – 邑楽町 参照

古代の邑楽町付観音霊場 – ポポロの広場

群馬県邑楽町の「狸塚(むじなづか)」の名前の由来を教えて下さい。|質問・相談が会員登録不要のQ&AサイトSooda!(ソーダ)

番外編

黒保根村(くろほねむら)

住所 

※廃村 現在は黒保根町宿廻(くろほねちょうしゅくめぐり)辺りと思われる。

【由来】万葉集の和歌
  「賀美都家野 久路保乃禰呂乃 久受葉我多 可奈師家兒良爾 伊夜射可里久母」
  (かみつけぬ くろほのねろの くずはがた かなしけこらに いやさかりくも)
  にちなんでいる。
  1市2村プロフィール

治良門橋(じろえんばし)

住所

太田市成塚町1024

【由来】※治良門橋駅の由来

江戸時代初期の篤志家・天笠治良右衛門が用水路に石橋を架けたという言い伝えに由来する。

れとろ駅舎 治良門橋駅

治良門橋駅 – Wikipedia

治良門橋駅 | 路線図・駅情報 | 東武鉄道

老神温泉(おいがみおんせん)

住所

群馬県沼田市利根町老神

【由来】老神温泉に伝わる伝説によれば、その昔、赤城山の神(大蛇)と日光男体山(二荒山)の神(百足)とが今の戦場ヶ原で領地争いをしました。

お互いに蛇と百足とに化けて激しく戦いましたが、 蛇になった赤城の神は矢傷を負ってしまいました。

傷を負った赤城の神は、後の老神の地まで戻り、矢を抜き、地面に刺しました。

すると温泉が湧いたのです。
湧き出た温泉に浸かった蛇はみるみる傷が 治癒し、すぐに元気を取り戻して見事百足を追いやりました。

男体山(二荒山)の神を追い払ったことから、その温泉は「追い神(追神)」と呼ばれるようになり、赤城山の神は温泉で老いるまで過ごしたので「老神」といわれました。

上記の伝説には他にも諸説ある。

1.赤城山の神がムカデ・二荒山の神が大蛇という説、

実はムカデが勝利したという説。

※上記の伝説とは化けた姿が逆になってるのは参考サイト様通りです。

多分、誤り?だと思います。

ここで重要なのは百足が勝利したという所だと思います。

2.最後にムカデ神を追い返した時に大蛇神には助太刀がいたという説(この助太刀は、野山に住む神獣・白猿・白雉・白鹿・白蛇その他といわれている)。

3.大蛇神が傷を負ったのは眼で、追い払うときにムカデ神の眼に矢を射た。

4.この伝説はこの地方の貴族や豪族、有力者の争いを神権化したものという説。

5.大蛇神は八岐大蛇ヤマタノオロチ)の子孫・眷属・同神族であるという説。

老神温泉(おいがみおんせん)大蛇まつりと大蛇のご紹介

老神温泉の伝説 | 群馬県赤城山ポータルサイト

老神温泉 – Wikipedia

八ッ場(やんば)

住所※八ッ場ダム建設予定地のため、予定地の住所と思われるのを記載。

群馬県吾妻郡長野原町大字川原畑字八ッ場

八ッ場ダムの概要 | 八ッ場ダム工事事務所 | 国土交通省 関東地方整備局

【由来】※諸説あり。

1.狭い谷間に、獲物を追い込んで、矢を射た場所「矢場(やば)」が転じ、「やんば」となった説


2.狩猟を行う場所に8つの落とし穴があったことから、「8つの穴場」→「やつば」→「やんば」となった説


3.川の流れが急であることから、「谷場(やば)」が転じ、「やんば」となった説

 八ッ場ダム – Wikipedia

八ッ場ダムの名前の由来? – 樹の声が聞こえる

六合(くに)

住所※吾妻郡六合村は合併により、吾妻郡中之条町になっています。

群馬県吾妻郡中之条町

【由来】小雨、赤岩、生須、太子(おおし)、日影、入山の「六つ」の大字が「合わさる」ということで、「六合」の名が付きました。

「六合」を「くに」と読む理由

古代東洋では、世界は東西南北及び天地の六面で構成されたサイコロの内側のようなものだと考えられていました。六つの面が合わさっているので、世界のことを「六合(りくごう)」とも呼びました。
同じく世界を意味する「天下」「四海」「八紘」と同様で、「六合」もしばしば「国」の意味をもって使われ、古事記上巻序文の「乾符を握って六合を総べ」、日本書紀神武天皇即位のくだりのすぐ前の「六合を兼ねて以って都を開き」においても「六合」は「支配の範囲=国」の意味で使われています。
このことから「六合」を「くに」と読み、「六合村」を「くにむら」と読んでいます。

六合村 (群馬県) – Wikipedia

六合地区観光情報: 六合の名の由来

感想

以前にも書いたと思いますが、難読地名を調べ始めてから、ニュースで調べた難読地名が出てくると自然と反応してしまいます(笑)

群馬編だと嬬恋でした。

こういうことがあると調べたことが少しは私の中に蓄積されているんだと分かり、嬉しいです。

皆様にも少なからず、良い影響があれば嬉しいです。

ありがとうございました。

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