日本の難読地名と由来~埼玉編~(前編)

日本の難読地名と由来シリーズ

今回の「日本の難読地名と由来」シリーズは埼玉編の前編です!

埼玉県の難読地名と由来

 清河寺(せいがんじ)

住所

埼玉県さいたま市西区清河寺

【由来】室町時代初期、鎌倉公方足利基氏が、病中に見た夢の中で、亡兄・竹若丸が大龍に乗って枕元に現れ、清い水を基氏の顔にかけた。

これにより、病気がたちまちに全快したことから、亡兄追善のため、大竜に乗って現れたことから山号を「大龍山」とし、清い水を与えられたことから寺号を「清河寺」としたのである。

この縁により、足利家祈願所となり、追って、岩槻太田家からも篤い帰依を受けた。

清河寺 – ときどりの鳴く 喫茶店

大龍山清河寺(埼玉県さいたま市西区) : ゴシュイン・ウォーカー
秋葉神社を出て、狭い住宅街の道路を抜けていくと、やがて県道に出て、ほどなく六叉路の交差点にでる。ここを「清河寺(せいがんじ)」交差点という。この交差点から少し行って、脇に入って少し行ったところにあるのが、大龍山清河寺。さきほどの交差点、そして地名自体の由

風渡野(ふっとの)

住所

埼玉県さいたま市見沼区風渡野

【由来】台地に挟まれたこの地域が女性器を連想させるため、女性器の古語である「ホト」が転訛したとされる。

風渡野 – Wikipedia

大宮 風渡野の宮 を探って・・・ – ときどりの鳴く 喫茶店

ほと – Wikipedia

宮ヶ谷塔(みやがやとう)

住所

埼玉県さいたま市見沼区宮ケ谷塔

【由来】鎮守であった氷川神社(宮)と、谷戸があったことから「宮ヶ谷戸」と呼ばれ、その表記が変化したもの。

宮ヶ谷塔 – Wikipedia

新開(しびらき)

住所

埼玉県さいたま市桜区新開

【由来】1590年(天正18年)の小田原征伐により後北条氏方の岩槻城が落城し、城から落ち延びた旗本の士浪人が土着し一村を開いた。

村は「新開村」(新たに開かれた村)とよばれ地名の由来となった。

新開 (さいたま市) – Wikipedia

さいたま市桜区にある新開(しびらき)について、由来がわかる資料が見たい。 | レファレンス協同データベース

神田(じんで)

住所

埼玉県さいたま市桜区神田

【由来】古来伊勢神宮神領であったことに由来するという。

月讀社。さいたま市桜区神田の神社

西浦和の神社

神田 (曖昧さ回避) – Wikipedia

道祖土(さいど)

住所

埼玉県さいたま市緑区道祖土

【由来】※諸説あり。

1.「新編武蔵」には道祖土神の社があったためとする説。

2.比企郡八ツ林村の名主道祖土氏の祖先道祖土土佐守が戦国期に当地に住したためとする説。

「道祖土」の地名の由来

釣上(かぎあげ)

住所

埼玉県さいたま市岩槻区釣上

【由来】かつては鈎上などと書かれていたが、帳簿などに記載する際に釣上となり、読みがそのままになったものと考えられている。

釣上 – Wikipedia

岩槻市釣上(かぎあげ)の漢字について -私の実家の近所、埼玉県岩槻市- 地理学 | 教えて!goo

妻沼(めぬま)

住所

埼玉県熊谷市妻沼

【由来】利根川の流れが、今日の淵も明日は瀬となる、というようなことを繰り返すうちに、利根川の上流地と下流地とに同じような大きな沼ができた。

上の沼を男沼(おぬま)、下の沼を女沼(めぬま)と読んでいたが、江戸時代になって音に漢字をあて目沼と書いた。御朱印に目沼とある。

たまたま妻(めあ)わす(※1)の妻と女を入れかえて妻沼と書き、これが一般の好みにあったのか、妻沼という文字が定着して今日に及んでいる。

※1.女を合わす。女を添わす。嫁を付ける。

妻沼周辺の様子 – 埼玉県立妻沼高等学校

妻沼(めぬま)とは – コトバンク

めあわす【妻わす・(女合わす)】

神米金(かめがね)

住所

埼玉県所沢市神米金

【由来】神谷新田の「神」、平塚新田(久米新田とも呼ばれた)の「米」、堀兼新田(堀金新田とも記される)の「金」を合わせて「神米金」と名づけられた。

神米金 – Wikipedia

地名のヨミと由来を調べる|神原 俊治|日文エッセイ132 – 日本語日本文学科

双柳(なみやなぎ)

住所

埼玉県飯能市双柳

【由来】※双柳稲荷神社の社伝

社伝によると、弘仁5年(814年)現在の境内地西南に老木の並木があり、その2本の古柳の根本に白狐が遊んでいた。

以来当地を双柳と呼ぶようになり、それを聞いた弘法大師が稲荷を勧請し神像を彫刻しこれを祀ったと言う。

由来 | 双柳稲荷神社

稲荷神社 (飯能市双柳) – Wikipedia

入間郡とその近郊の祭り囃子(飯能市双柳編)

手計(てばか)

住所

埼玉県深谷市上手計

埼玉県深谷市下手計

【由来】※諸説あり。

1.手計は古くは手墓と書き、その昔、八幡太郎義家(もしくは部下)の切り落とされた片腕を葬ったことに由来する説。

2.手計のハカは地形の崖(ハカ)や古名の竹幌(アイヌ語で縄張り・垣根の意)が手計幌から手計と言う説。

埼玉県の地名集

手計家物語

21.生地、血洗島の地名について/深谷市ホームページ

矢颪 (やおろし)

住所

埼玉県飯能市矢颪

【由来】※諸説あり。

1.平将門が岩淵の八幡神社のあたりから三本の征矢(そや)を放ち、戦勝を祈願したといわれ、そのうちの一本の矢が落ちたところが、いまの矢颪の地である。

矢が下りたので矢下と呼んだが、後世になって矢下風と書くようになり、さらに下と風をくっ付けて矢颪と書くようになったという。

2.「矢颪」 のあたりの地形を見ると、 西側に小高い山が あり、 矢颪はその山のちょうどふもとに存在している。

冬の北西風 (空っ風) が吹いた時に、 この山から颪風が 吹いてくることによりつけられた地名とも考えられる。

なお、 「矢」 (ヤ) は 「岩とか石」 を意味する地名に多 いということから、 近くの 「岩山」 から吹き降りて来る 颪という説も考えられる。

「颪 (おろし)」 には崖の意味もあるという。

In the Eyes of Ghosts

荒川流域を中心とする埼玉県内における 自然地名からみた災害常習地に関する気候的研究 (第1報) 埼玉県内の気候地名の分布 参照

上敷免(じょうしきめん)

住所

埼玉県深谷市上敷免

【由来】江戸時代の史書には上鋪免村とあるが、元は雑食免(ぞうしきめん)に由来する。雑食とは律令時代、工芸、技術等の雑役に従事した人のことで租税が免除されていた。

日本煉瓦製造

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加須(かぞ)

住所

埼玉県加須市

【由来】※諸説あり。

1.加津説
加須の“光明寺”という寺は、元亀2年(1571)に“加津内蔵丞長高”によって創建されたという。
この加津内蔵丞長高の「加津」にちなんで、加須の地名が起こったとする説。

2.神増説
加須市内に“大聖院”という寺がある。
これは京都の聖護院の流れをくむ修験の寺で、八幡山

大聖院神増寺と号した。
この「神増寺」の「神増」から加須の地名が起こったとする説。
それを裏付けるかのように、市内には「神増村」と記されたものが存在する。

3.加増説
元禄頃より、利根川治水工事や新田開発が活発化し、加須の地の石高が増加していった。
旗本にしてみれば、これは石高の「加増」を意味している。
ゆえに加須の地名が起こった。

地誌『新編武蔵風土記稿』の「加須村」項には、
「古は加増と記しかぞと唱へしが、後文字は今の如く改めしといへど、唱はもとの如くなり、正保の頃は未だ加増と記し、元禄の頃は加須村とのせたれば、其改めしは元禄前のことなるべし」と記されている。

4.河洲説

利根川本流の「河洲(かす)」が転じたという説。

“加須”(かぞ)の地名の由来は? ―子ども昔語り(127)― – クニの部屋 -北武蔵の風土記-

加須市 – Wikipedia

遊馬町(あすまちょう)

住所

埼玉県草加市遊馬町

【由来】※諸説あり。

1.古代の「牧」(牛馬を放し飼いにする場所)からの説。

2.地形(湿地の狭間)からという説。

アスマはアソマの呼びが正しいと考え、アソは水の浅いところ、湿地の意が、マには湖沼・狭間の意があり、この地が古く荒川沿岸の低湿の狭間にあったがためにその名が付いたとする説

草加市内の地名「遊馬」(あそま)の由来が知りたい。 | レファレンス協同データベース

「遊馬」の名字の由来

志多見(しだみ)

住所

埼玉県加須市志多見

【由来】※諸説あり。

1.この地域の地形には高低差があり、低いところは低湿地で水が常に浸っているような状態だったという。

ゆえに、“浸水”(しだみ)からついたという説。

2.古利根川と赤城おろしによって形成された“河畔砂丘”(内陸砂丘)に登ると集落が下に見えたことから

“下見”とする説。

3.、「志多見」の字面は、この地域の名主松村氏が元々伊勢におり、土着した際にかつて領有していた一志、多気、飯南(見)から、それぞれ一字取ったという説を、郷土史家の“松村勝”氏は唱えている。

“志多見”(しだみ)の地名の由来は? ―?な地名(3)― – クニの部屋 -北武蔵の風土記-

仏子(ぶし)

住所

埼玉県入間市仏子

【由来】※諸説あり。「ぶっし」ともいう。

1.「ブシ」は多く小平地河岸段丘・谷頭・鈍頂の山にみられる地名なので、地形によるものであるという説。

 2.昔、ここに「仏師」が住んでいて、それが元になったという説。

3.昔、ここに「武士」が住んでいて、それが元になったという説。

「仏子」の地名の由来

地名の由来(図書館いるま・こども郷土資料より)|入間市公式ホームページ

礼羽(らいは)

住所

埼玉県加須市礼羽

【由来】※礼羽の意味は定かではないがアイヌ語説の可能性がある。

「らい」はアイヌ語で「低い場所」、「ぱ」は「水が充ちた」という意味。

「礼羽」の地名の由来

舎人新田(とねりしんでん)

住所

埼玉県桶川市舎人新田

【由来】古くは坂田村護摩堂寺の沼で「護摩堂沼」と称されていましたが、元和年中(1615~1624)に加納村の舎人という者が開発し新田としたので、この名が付いたといいます。

舎人 桶川の舎人新田: 桶川市観光協会

桶川市/市指定文化財

五十子(いかっこ)

住所

埼玉県本庄市五十子

【由来】地名は、「五十日」を「いか」と読み、「いか」は洪水の起こりやすい平地の意。

■「数」の地名

垳(がけ)

住所

埼玉県八潮市

【由来】水がカケ(捌け)る様子が起源となり、水が流れるとき「土」が流されて「行」くという字を当てたことが由来となっている。

ちなみに「垳」という文字はJIS第二水準漢字であるが、この地名ならびに垳川の河川名を表記する以外には使われない。

垳 – Wikipedia

【埼玉県】南埼玉郡八潮町大字垳 – 旧町名をさがす会

采女(うねめ)

住所

埼玉県三郷市采女

【由来】元は采女新田と呼ばれていた所で、その地名は隣村の彦糸村の森采女という者が開拓したことに由来する。

采女女体神社。三郷市采女の神社

羽生(はにゅう)

住所

埼玉県羽生市

【由来】※諸説あり。

1.市内の神社にある懸仏に、天正18年(1590年)太田埴生庄との銘があり、埴(はに、赤土の意)が生(う、多いの意)であることを表しているといわれている。

2.埴輪が出土していることから埴輪が転訛した説。

※羽生表記が初めて出て来た時期

羽生という地名が出てくるのは文明10年(1478年)の太田道灌の手紙に「武州羽生の嶺にたてこもり」と書かれているのが最初と「羽生市の歴史」では書かれているが、一方wikiでは、「鎌倉大革紙」に、長尾景春が文明10年(西暦1478年)に羽生の峰に陣取ったことが記されている、とある。

調べると当時、両者は「長尾景春の乱」で相まみえていたので、この時の記録と推測できる。

また、「小田原旧記」には、武州羽丹生城代中条出羽守との記載があり、埴生、羽生、羽丹生の三種が今まで用いられていた。

「羽生・埴生」の名字の由来

羽生市 – Wikipedia

羽生市の歴史 | 羽生市

女影(おなかげ)

住所

埼玉県日高市女影

【由来】「略・村内に千丈ヶ池と伝地ありて、往古せんと伝ひし女此池に身を投て死せしが、その後彼女の影時として池中にあらはれしかば、土人これを女影と呼びしより、村名も起こりしといへり、最妄誕の説なることは歯牙を待ずして知られなり・・・」

※上記を現代語訳すると

「千丈ケ池(現在の、仙女ケ池といわれている)に「せん」という女性が身を投げた。

その後、この池からせんの幽霊の影が映るとされ、「女の影」から「女影」の地名となったとされる。」

日高・女影氏館跡付近

飯能・日高むかしむかし=女影(おなかげ)里哀話・1(1/5) : 高橋さんの写真館(分館)

外国府間(そとごうま)

内国府間(うちごうま)

住所

埼玉県幸手市外国府間

埼玉県幸手市内国府間

【由来】「コウマ」とは河間の地の意味。

外国府間内国府間は元来一村 だったとみられるが、慶安2~3年 頃(1649~1650)の『武蔵田園簿』 では、すでに外・内に分かれている。

※河間の意味が分かりません、知ってる方、教えてください。お願いします。

文化化遺産保存公開日誌誌抄 文化遺産保存公開日誌抄 … – 幸手市役所 参照

 感想

埼玉編もボリュームが多かったので、前後編に分けて紹介します。

今回のは下ネタから血生臭い由来など色々あり、調べていて面白かったです。

後編でもその土地の歴史などを感じられる地名と由来を紹介していきたいと思います。

読んで下さり、ありがとうございます。

埼玉編(後編)

http://kasibaka.miyagi.jp/2020/03/07/日本の難読地名と由来%ef%bd%9e埼玉編%ef%bd%9e後編/

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