関裕二さん著書「古代神道と天皇家の謎」で印象に残った所を抜き出してみた。

印象に残った本

関 裕二(せき ゆうじ、1959年 – )は、歴史評論家。千葉県柏市生まれ。仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究、1991年に『聖徳太子は蘇我入鹿である』でデビュー、以後古代をテーマに執筆活動を続けている。民間の歴史研究家である。またその史観は、市井において賛否両論ある。

関裕二 - Wikipedia


印象に残った所

P23~24
 神道の最高の地位にある神と言えば、皇祖・天照大神という太陽神だが、この天照大神の姿は、どうやら持統女帝のダミーであった可能性が高いのである。
 このことは持統に関わる系図と天照大神の系図を比べてみれば一目瞭然であろう。
 梅原猛氏は、『日本人の「あの世」観』のなかで、アマテラスと持統、オシホミミと文武、ニニギと聖武、タカミムスヒと藤原不比等の、それぞれを等式で結び、神話の構造が持統の描いた皇位継承法にそっくりであることを指摘している。


P25
 日本の始祖となった天地生成の神に関する記述に、冒頭から違いが生じている。
 これをどう考えるべきだろうか。
 『日本書紀』はこれを国常立尊(クニノトコタチノミコト)とし、かたや『古事記』は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)であったと説く。さらに、これは両書よりのちに成立した史書だが、やはり神道に重要な影響を与えた物部氏の伝承『先代旧事本紀』のなかでは、『日本書紀』『古事記』のどちらとも違う始祖神の名をあげているのである。

P33~34
『日本書紀』の神話のなかには天照大神の別名がいくつも記されているが、そのなかのひとつ、大日孁貴(オオヒルメノムチ)こそ、天照大神とヒミコが同一人物だったとする説の有力な手掛かりとなっている。

大日孁貴の「孁」の一字は「巫女」の意味で、「大」と「貴」は尊称であるから、大日孁貴からこれを抜いて「孁」に「巫女」をあてはめると、「日巫女」ということになる。
 これは太陽神・天照大神のもうひとつの顔、太陽神を斎き祀る巫女・シャーマンを指しているが、問題はその読み方にある。それが「日巫女」であり、邪馬台国の「ヒミコ」に重なってくるのである。
 しかしながら、ヒミコと日巫女が重なるからといって、これだけで両者を等式で結んでよいのかという疑問が、当然のことながら浮かんでくるはずだ。もちろん結論を出すのは早いであろう。

P35~36
 『魏志倭人伝』に描かれたヒミコの姿と、『日本書紀』の神話に示された天照大神の姿がそっくりな点も興味深い。
 『魏志倭人伝』によれば、ヒミコには男弟があって、宗教的な権威者と位置づけられているが、これはスサノオという弟をもち朝廷の信仰のよりどころである天照大神と通じてくるのである。
 さらに、神道では、歴史上実在の人物を祀る例は多いが、日本で最初に海外から認められた偉大な存在のヒミコを祀る例は、まったくみられない。これはとても不自然なことだ。
 しかし、もしもヒミコが神格化された天照大神となっていたのなら、すべての辻褄が合ってくるのである。
 八世紀初頭、天皇を中心とする中央集権国家の完成を目指した持統女帝は、自らの姿を天皇家の始祖・ヒミコに求めようとしたのではなかったか。そしてその過程で、持統は吉野という神仙鏡に登仙することで神となり、同時にヒミコを神格化し、太陽神・天照大神に仕立てあげたのであろう。

P63
 出雲神のひとり事代主神(コトシロヌシノカミ)は、のちの時代に、”エビス様”と呼ばれ、漁撈民・商人の信仰を集めたが、”エビス”は”蝦夷”であり、稲作民族ではない狩猟採集民族の末裔の漁撈民・商人たちの手によって祀られたことの意味は大きいはずなのである。

P66~67
 縄文人の末裔・アイヌは神を指して”カムイ”と呼ぶが、この”カムイ”とは、一説には神道の”カミ”の語源になったのではないかともいわれている。さらには東北地方や北海道に残る”イナウ”も、神道祭祀の必需品”幣”の原型ではないか、ともいわれている。


感想
 この手の考察系の著書は書き手が自信をもって書かれているので、予備知識がないと疑問を持たず(あるいはどこに疑問を抱けばいいか分からず)肯定的な見方をしてしまう。
 30歳をとうに過ぎ、能力は劣化していく一方なのかもしれないが、無知で人生終わらず、学んでいくための一つの糧にはなりました。

 関裕二さん、素敵な本をありがとうございます。


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